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(小説)白鶏の喉


#創作大賞2023


第一話

デパートの上にすんでいた。
専門店が多く入る昔ながらのデパート、その上に賃貸の室が三階と四階にあったのだった。二階には広い駐車場と専門店の十件ほどの倉庫、それから書道教室、理髪店も入っている。

見晴らしのよいといえばよい四階に、私たち家族はすんでいた。前には、当時人気を博した総合団地が遠くまで続いていた。ベランダは、団地の方向へ向いていたのではなく、小さな住宅が奥側の山まで続いている、ありふれたおだやかな景色の方に向いてくれていた。ベランダからは、居酒屋や、不動産屋、学用品を売る店、おもちゃ屋、ラーメン店、駄菓子屋、・・それらが眼下にいつも見えている。今考えると、全てがそなわっていたようだった。

デパートの一階には洋服店、文房具屋、豆腐屋、乾物屋などがはいっていた。スーパーも後になるとできたのであったが、それまでは個人の店が入っており、特に仕切りといったものはなく、ひらたく言えば、市場であったのだと思う。美恵子は長女で、妹の希恵と姉妹であった。父親はサラリーマンで、母親は専業主婦をしていた。このデパートを住居にえらんだのは父であった。


第二話

ある日、その父親がひよこを三羽買って帰ってきた。美恵子も希恵もねだったわけではなく、気まぐれに買ってきたのである。その頃、父親は仕事で営業車を運転する必要ができ、近所の教習所に遅まきながら休日を使って通い始めた頃でもあった。横で母親が「なんで三羽も買ってくるの?」と怒って言っていた。ひよこはピヨピヨと美恵子と希恵の歩くあとをくっついて回り、2DKの家の中で右へ左へと走り、愛らしくくるくると向きを変えた。初めは、段ボールの中に入れて飼っていた。段ボールは徐々に大きくなり、それにつれて父親は興味を失っていった。

集団住宅の利点で、毎日、同じ住宅内の子どもたちが学校が終わってから集まるのにはことかかなかった。玄関のドアを開けるとすぐ前に横たわる灰色の薄汚れた長細い廊下に何人かで集まっては、ひよこ達を放して走り回らせて遊ぶ。すぐ側では短いしっぽの猫がこちらを見ている。その数日後、切れたしっぽが廊下の先の階段につながる踊り場に落ちたまま残っていた。美恵子が見つけた。同じ毛色なので、おそらくこれがそうなのだろうと見当がついた。病気なのか、誰かのせいなのか、よくわからなかった。

ひよこの中で首の長い二羽は背も高く元気であった。残りの一羽は一回り小さく、体も弱かったがどこか情が深くみえた。それがかえって可愛らしく思えた。病弱なひよこにピヨ助と名前をつけて特別に可愛がった。

美恵子はたまたま近所に住む、同じクラスの不動産屋の娘、真理とは特別に仲が良かった。担任は二人が仲がいいのが解せないと母親に言ったらしく、その理由は彼女はやんちゃだが、美恵子はおとなしく、真面目だからだという。教師のくせに何てことを言うのだろう、と美恵子は思っていた。彼女は黄色いセキセイインコを飼っていた。時々それを自慢げに話した。だが美恵子にとっては、自分のひよこの方が数倍価値があるように思えていた。ある日、真理は一緒に寝ていた時に知らずに踏んでインコを死なせてしまったらしかった。


第三話

ヒヨコは大きくなってくるにつれ、頭に鶏冠と、嘴の下には肉垂が出てきた。鳴き声も次第にピヨピヨからコッコッに変わっていった。母親は狭いベランダの隅に緑色の網と木材とで簡単な柵をこしらえ、三羽のひよこをそこへ入れて飼うことにした。家族の中で美恵子が餌をやったり、水をやったりする仕事をしていた。希恵はほとんど手伝うことはなかった。もう手のひらに乗らなくなったにわとりは、美恵子がくると右へ左へと動き回ったり羽をバサバサと羽ばたかせて小さい柵のなかで窮屈そうに動いてえさをねだった。時にベランダに出てきた隣の住人の水商売の女性と目が合うことがあった。だが、こちらをにらみつけるでもなく、小言を言うこともなく、こちらを一瞥して微笑みを浮かべるだけであった。

七月も終わりに近づき、夏休みの宿題に自由研究が出された。しばらくの間考えてもいい案が思いつかず、美恵子は「何にしたらいいと思う?」と母親に聞いてみた。「雲の観察がいいかもね。」と母親は言った。ベランダの欄干に親子で両腕をもたせかけ、時々刻々変わる面白い雲の形をスケッチブックの上に写し取った。その後図鑑を広げて「積雲」、「積乱雲」、「巻雲」、「乱層雲」、と名前を親子で確認し合った。あらかたの雲の名前は美恵子の頭に入った。

九月になる前、ひよこはかなり大きくなり、鶏に近づいた。毎朝大きな声でコケコッコーと鳴くようになった頃に、母親が「近所にうるさいと言われるから、捨てにいこう」と言った。美恵子は「ぜったいにいやだ、可哀そうだ。」と言ったが、「三羽も飼ってくれる人はいないから、仕方ないのだ」と言われ、それを喉の奥に飲み込んだ。


第四話

空の色は昼なのに灰色で、近くの土手までは三十分ほどであったが遠い距離に思えた。希恵は家にいて、母親と美恵子の二人で捨てに行くことになった。自転車の後ろには、段ボールがひもで結んであった。母親の冷淡な横顔の傍らで歩く美恵子のなかで、ひよこたちを一体どこへ連れていくのか暗い不安な気持ちはいささかも消えなかった。母親の心の中を全く理解できない思いでいた。おそらく動物と人間との間に壁をもっている個人なのだろうなと思った。土手に着くと、うってかわって空は明るく青く輝いていた。鶏が放たれ、それぞれが戸惑いながら別々の方向に少しずつ歩いて行った。「その辺りの草を食べて生きるだろう。近くの農家の人にみつけられるかもしれない。」本人さえ信じていない、いい加減な話に美恵子は、よりもどかしい気持ちになった。しかし、母親の言葉をそうかも知れないとおもってみた。だが、しばらく考えてもやはり信じることができなかった。母親の妙に サバサバとした様子に自分の親ながらやるせない苛立ちを感じた。美恵子は、その辺に落ちていた三つの丸い黒曜石のような石をひよこの代わりとしてそっと拾った。それを手の中ににぎりしめてポケットの中を満たした。下を向いて歩きながら時々記憶に残しておこうとわざと空を見上げた。真上に薄い水色に変わった空が見えた。その中に遠く巻雲の流れていくのが見えた。ところどころかたまりになっていて、ひよこ達が追いかけっこをしているように見えた。軽くなった自転車を押す母親も帰りはずっと無言でいた。部屋に帰り、ベランダのすぐ横に置かれた自分の机の前に座り、三つの石に黒マジックで三羽の名前をそれぞれ書いて、ひよこ達の名前を呼んだ。石を箱にいれて、引き出しの中にしまった。それから、美恵子はそっと引き出しを閉じた。

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