じぶんが何者かわからなくなった人へ

結論からいえば、好きなものをさがす 好きな人をさがす
(話の合う人をさがすという感じです)

どっちが先でもいいのかもしれませんが、好きな人をさがす、の方が早いかもしれませんね。

わたしの場合、大学の頃は親友と演劇の話や科学系の話、音楽の話・・と
いうとてもワクワクできるような人がいました。

しかし、疎遠になってきました。彼女は仕事の話、私は子どもの話。
人生に現在の興味の中心的な話題が異なるとき、人はその人とかつて
どうあったか、関係なく、離れて別の話をする人を探します。
お互いに共感したいのに、共感ができないからです。

自分をわかって欲しいのに、わかってもらえないからつまらない。

そして、ママ友とも友だちではあるが、深い話ができるような、
親友になれないで、その後数十年経ちました。
親友というのは一生、とは限りません。そういう一生つきあえる人だけを親友と呼ぶという定義があるのかもしれませんが、わたしの思うに親友はたぶん時限的です。ある種の刷り込み・思い込みです。女性はとくに。。


それなので、深い話ができない=自分をなくす という事態に陥りました。
この数十年間。ただ、最近、坂口恭平という人を知り、少しずつ自分自身を
取り戻していける感じがしています。

大学のときに感じていた、あの親友とだけ交わせる、何時間でも話せる、
とりとめもない自由な言葉の交わし合い(感想や自分の考えをしゃべる)
(こないだよんだ本について)(こないだ観た演劇について)、
世間話を超えた、実利的な話ではなくーーーーー
深い芸術や音楽について語れる場に自分がいられる(いまは坂口さんを通して、ネット上で)そんな幸福感をまた、感じられる。
=自分が本当の自分になれた!よろこび。なのでした。

派生的に、noteというものを知ったり、そこで絵や小説を書いたりされている方に影響をもらえました。1月からの2カ月間で、得る世界が変わった気がします。いままではTwitterだけだった15年間。。
今度はまた、少しずつ自分のすきなものをあつめていける(がむしゃらに手あたり次第、周りのTVやネットから、自分の関心を取り付けようとする不毛な努力からのがれられた)

きっと坂口恭平というキーマンがいたから。坂口恭平が好きだから。
くるりとか、養老先生、吉本ばななさん、、わたしの好きな人が坂口恭平の周りに集まっている。だから、よけいに確信がもてた。やっとみつけられた。ほんとうに、みつけにくいし、音楽とかもきかなくなって、久しかったから。(子育てできかなくなりますよね・・)

吉本ばななさんには、たわいもないことですが、
夜中にTwitterでお返事もらえたことが一回あって、信じられなくて、すごくうれしかったです。(自慢)夜中はねらい目かもです。

これからは自分のすきなもの、ひとをしんじられるといいな。そして、自分に自信がわいて、他人が気にならない自分の幹をまたもてれば、好きに梢を広げていける自分になれそうだ。
そのためには、ネットに張り付くのがいいですね。
周囲の家族などには、わたしの関心事はあまり理解できないようなので。(笑)意見もまったく正反対だし💦。家族なんですけど、いろいろ違いますからね。(*^▽^*)

それでは共感していただけるとうれしいです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?