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「しょーもな」を救いの言葉にしてくれよ

この記事は、超個人的意見、かつ批判的側面があります。

それを踏まえて、読んでいただけたら幸いです。

はじめに…「しょーもな」とは

そもそも、「しょーもな」即ち「しようもない」は、どうしようもなく”くだらない”、”ばかばかしい”という意味の言葉だ。物事の大きさや価値を表現する際に用いられる。その際、①評価、②自己防衛のどちらかの目的で使われることが多いと感じる。

①評価…「あの芸人のギャグ、しょーもな!」、「(子供に向かって)しょうもないことはしないでね。」等、稚拙だと評価したいものを表現するために用いる。

②自己防衛…これは、自虐の枕詞として用いるパターンだ。「しょうもない話ですが…」と前置きすることで、自信の無い話も召喚できる便利な言葉だ。自虐が良いことかはさておき、他者へ加虐的ではない。しかし、その矛先が相手に向かったとき、価値観の押し付けが起きる。

自己防衛系「しょーもな」

「お前、しょーもな」

私はこの言葉を聞くと想像する。陽キャが陰キャと話が嚙み合わなかった瞬間を。

陽キャと陰キャでなくても良いのだが、会話していて、ノリや感性があわないことはいくらでもある。何故なら、同じ人間はこの世には存在しないから。そうであるのに、自分の感性が相手に理解されないと、そのことを恥ずかしさで考慮できなくなってしまう

何故、陽キャと陰キャの例を出したのか。陽キャはクラスを牛耳る存在で、陰キャはマイノリティとされる。そのため、陽キャの発言は、集団で人を動かすもので、陰キャの感性は、集団とはズレている必要がある。そう陽キャは感じているはずだ。でなければ、自分の権威を保持できないのだから。

だからたまに、陽キャが陰キャに話しかけ、会話が上手くいかなかった際に空気がしらけると「お前、しょーもな」と陰キャを差別する。自分の発言が通用していない様子を周囲に見られることは恥だから、それを脱するために、通用しなかった原因を陰キャの感性の問題にする。

これは、「しょーもな」という言葉が使われる際の目的、評価パターンが正しく行われていないということだ。一見、他者評価しているように見えて、陽キャが失敗を誤魔化すために用いる、自己防衛パターンだ。

そう、「しょーもな」を使えば、自分が面白くなくとも、相手が面白くないと定められる。相手を傷つけるタイプの自己防衛が出来るのだ。

反抗する「しょーもな」

このような不当な扱いを受ける陰キャはたまったものではない。だが、クラスではマイノリティのため、反撃も数の暴力で無とされてしまう。

では、どうするのか。それは、仲間内での慰め合いだ。

「あいつら、しょーもな。」

当人に言わずとも、陰キャ同士で陽キャの価値観を否定しあう。自分たちがこんな扱いを受けているのは、間違った感性を持っている陽キャが多いからだ。自分は正しいのだとすることで、精神的に救いを見出す。

状況を変えにくい中で、精神的に救われる道を生み出すことは重要なことだ。だがしかし、陽キャも陰キャもこの言葉を用いて自己防衛を行うことで、評価と自己防衛が混同してきてしまうと考える。

本当に「しょーもない」ことってあるの?

この世界の中で真に「しょーもない」ことって何だろうか。そんなものはないと考える。

「しょーもな」はあくまで、個人の感性の話なのだ。人にとって重要なことは違う。好きなものも嫌いなものも違う。環境も違う。なのに、通念的なものであれば、自分の価値観が共通認識かのように振舞う人は多い。

先日、陰キャの友達と話した。「しょーもな」という陽キャの価値観の押し付けが苦手だと言っていた。しかし、彼もまた「しょーもな」を用いた。自分の苦手な人間を差別する際に。

「努力できない人間はしょーもない。」

確かに、そう思う人は多いかもしれない。そういう価値観が自己に向いている分には、己を奮起させるのに有効で、良い考え方かもしれない。

だが、自分を傷つけた”価値観の押し付けの言葉”を何故他人に使うのだろうか?

そう、これは、陽キャ、陰キャに対する話ではないのだ。「しょーもな」を自己防衛として、他者評価に用いている内に、自分が他人を評価できると勘違いする可能性があると言いたいのだ。

まとめ

我々は、勉強、就職、趣味、様々なもので評価される機会がある。これらはある観点での優劣がつけられているだけで、人間としての優劣があるわけではない。そして、その優劣も誰か、もしくはどこかの集団の主観で出来ている。本当に客観的なことなど無い。だけれども、客観的が求められることがあるから、マジョリティの主観を客観的として用いる。そういった事実は、使われる内に見えなくなる。

そんなことを、「しょーもな」は体現しているのではないだろうか。

私には、好きな「しょーもな」の使われ方がある。それは、芸人がツッコミで使う「しょーもな」だ。くだらないことを、変なことをしちゃったなってときも、明るく笑いながら「しょーもな!」って言ってくれたら、なんだか救われる。どうしようもないことも笑いにはなったんだなって。

この言葉だって、楽しい使われ方をするんだ。負の連鎖が止まり、救いの言葉として後世に残ってくれればいいなと思う。

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