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兆しの木

 昔々の大昔、人類が誕生する以前のこと。宇宙の彼方から巨大な果実が地球に飛来した。

 それは緑豊かな大地に墜落した。植物や獣、周囲のありとあらゆるものを広範囲に渡って吹き飛ばし、大地に深く広いヘソを作った。

 果実は半分ほど土に埋まった。無論、それには手足はおろか生命すらないからに、そこから動くことはない。未来永劫、その場所に留まることとなる。

 ほどなく多種多様な虫や獣が果実に接近してきた。果実が放つ甘い香りに誘われてやってきたのである。

 自身のからだの数百倍も大きい果実だが、虫や獣たちは我先にと果実を食らった。いくら巨大とはいえ、彼らの食欲の前にはただの果実も同然。あっという間に食い尽くされて、これまた巨大な種子だけとなった。

 そうなってしまっては興味を示すものは誰もいない。虫や獣たちはそそくさと大地のヘソから立ち去った。種子はひとりぼっちになったが、無論寂しさを感じることなどない。

 その後、雨や風が土を運び、種子は長い時間をかけて地中に埋まった。大地のヘソはほぼ平らになり、ゆっくりと着実に元の姿に戻りつつあった。

 だがある一定の距離までいくと、植物たちはぱたりとその侵攻を止めた。空から見下ろしたならば、何者かが意図的にその場の草木を伐採したかのような、正円形の更地がぽっかりと存在することがわかる。

 その光景を飛行する虫や獣が見たところで、彼らは何の感想も抱かないだろう。ただ、何かしらの器官で何かしらの危険を感じ取るのか、一匹たりともそこには近寄らなかった。

 さらに長い時間が経った。人類の祖先が誕生したのとほぼ時を同じくして、元大地のヘソに小さな小さな芽が萌え出でた。言わずもがな、あの果実の種子から萌え出た芽である。

 芽の成長速度は凄まじかった。はじめは雨粒大しかなかったが、太陽が地球の回りを一周する間に、周囲の山々を凌ぐほどの大樹に成長した。これほどまでに成長の早い動植物は、この地球上には、後にも先にも存在しなかった。

 それに伴い、大樹の周囲に生えていた草木は見る影もなく枯れ果てた。また運悪くその場にいた虫や獣たちも、漏れなく無駄なく、大樹の栄養となった。

 人類が大樹を初めて発見したのは、地球全土が極寒だった頃のことである。獣の皮で作った衣服を纏い、加工した石などを所持していた彼らは、生活拠点や食糧となる獣を探していた途中だった。

 複数人の人類が高い崖の上からそれを見つけた。その時の彼らはまだ神などの存在を想像ないし創造していなかったが、凍てつく世界の中で圧倒的な存在感を放つ大樹に対し、遠目から確認したにせよ、畏怖を抱いて然るべきものであった。

 時は流れ、人間たちが音楽を扱うようになると、大樹を信仰する宗教が生まれた。さらに文字の誕生によって、宗教は爆発的に成長した。

 彼らは自分たちの種族と樹の関係性を、豊かな想像力で都合のいい物語を作り出した。そんなことをしたところで大樹が喜ぶことなどあり得ないのだが、人々は大樹がいかに神聖な存在かを嬉々として語った。

 長い年月の中で、大樹は時に大火に見舞われたり落雷に遭ったりしたことが多々あった。焼けるような日照りや瀑布のような雨の被害はその数倍の頻度で受けた。だがそれによって大樹が朽ちたり枯れたりすることはなかった。むしろより大きく成長した。虫や獣が脱皮をしてからだを大きくするかのごとく、だ。その光景を目の当たりにした人々は更に信仰を篤くした。

 世界中を巻き込んだ人間たちの無駄な争いが二度過ぎ去った頃には、大樹は地球と宇宙との境に迫るほどに成長していた。その頃になると、人間たちの文明もより高度に発展していた。

 大樹を信仰の対象としている者たちが根強く存在する一方で、大樹を保護するという名目で、大樹の生態を研究する者たちも現れた。その歴史や宗教を研究する者は今までにも少ならからずいたが、植物として研究することは人類初の試みであった。

 研究開始からまもなくわかったことは、大樹は桃と非常によく似てた植物であるということだ。さらに研究者たちは「この植物はまだ成長途中であり、今後、花が咲き、さらに果実ができる可能性がある」という仮説を唱えた。

 その仮説に、すべての大樹信者たちが騒めいた。何故なら彼らの聖典の中に、このような一説があるからだ。


『大樹が咲かせた薄紅色の大華は、世にも恐ろしい災いが降りかかる兆しである』

『災いは世界を破壊に導く』

『人々の願いが届きし時、大樹は薄紅色の果実を実らせ、百人の使者を降臨させる』

『使者たちは災いを殲滅し、新たなる世界を創造する』


 大樹宗教を研究する学者たちは、これを終末思想の一種と考え、未来を予言するものではないとした。そんなことは当然だと、研究者はもとより一般人もそう思っていた。

それから数年経ったある日、百万台ある定点カメラのひとつが、薄紅色の蕾の姿を捉えた。

 信者たちは口々に呟いた。「兆しだ!」「兆しだ!」と。それが一般人の耳にも届き、不特定多数の人々が、この花を『兆し花』、大樹を『兆しの木』と呼ぶようになった。

 それからさらに数年が経過した。時々刻々と成長し続けた蕾が遂に開花した。その大きさは地球上最大の動物とされるシロナガスクジラを超えるほどであった。

 いつ来るともわからない『災い』に怯える者もいれば、食糧などを買い占める者もいた。しかし大半の者たちが漫然と続く日常を過ごしていた。その中で人々は『宇宙人が襲来する』とか『天変地異が起こる』とか『政府は地下にシェルターを隠し持っている』とか、様々な憶測を巡らせていた。

 そしてその時は訪れた。

 兆しの木から見て北東に位置する海域で、突如として海底火山が噴火した。高温のマグマが海底の亀裂から流出すると共に、とある生物がごまんと姿を現した。

 一見姿形は人間とよく似ているが、人間を遥かに凌ぐ屈強な巨体をしている。肌の色は煮えたぎるマグマのように赤い。さらに頭部には角が生えていた。この生物は発見されてほどなく、ある島国の研究者が、彼の国に古くから伝わる怪物に似ていることから『オニ』と命名した。

 オニの進撃は凄まじかった。森林を燃やす大火のような勢いで地上に侵攻すると、人間はもちろん、目についた生物を片っ端から根絶やしにした。彼らは武器を持っていなかったが、空前絶後の腕力で破壊の限りを尽くした。
人々は様々な兵器を駆使し、必死にオニに対抗した。オニに兵器は通用した。だがそれでもオニの進撃は止まることを知らず、最終的に力でねじ伏せられてしまうケースが多発した。

 オニの侵略から一年あまり、人類はとうとうオニに降伏した。オニは生き残った多くの人間を奴隷にした。地下に逃れた人々も少なからずいた。だが彼らがオニに対抗する手段は一切なかった。

 絶望の淵に瀕した人々はせめてもの抗いとして、来る日も来る日も祈り続けた。世界に平和が訪れますように、と。

 その願いが叶ったのか否か。兆しの木にたわわと実った巨大な果実が地上に落下した。

 落下して間もなく、果実はパカッと半分に割れた。そして中から、人間によく似た小さな赤ん坊たちがたくさん生まれた。その数、丁度百人。聖典に載っていた、大樹が降臨させる使者の数と一致するが、それを指摘する者は今この場にはいない。いるのは大きな音を聞きつけて集まったオニたちだけである。

 百人の赤ん坊たちは一歩進むごとに成長し、瞬く間に青年や少女の姿になった。それでも、同年代の人間の子どもよりも頭ひとつ分は小さく、オニと比べれば膝にも届かないくらいの身長しかなかった。オニたちは彼らの姿を嘲笑した。

 刹那、ひとりの果実人がたちどころに二体のオニの間に入り込んだ。そして足首を鷲掴みにし、軽々と持ち上げて地面に叩き付けた。
一瞬の出来事に、周囲にいたオニたちは目を丸くした。だがすぐさま怒りの表情を浮かべて果実人たちに襲い掛かる。

 勝負は間もなく決した。果実人たちの圧勝だった。途中からは勝負などではなく、もはや虐殺だった。オニたちは皆が皆、その原型を留めていないほどにボコボコにされた。対する果実人たちには傷ひとつ、血飛沫一滴、砂一粒さえついていなかった。

 その一部始終を、草陰から見ていた奴隷の人間が数人いた。彼らは果実人たちの強さに戦々恐々としながらも、オニを倒してもらったことに喜んだ。このまま世界中のオニたちも彼らに殲滅してもらおうと考え、人間たちは果実人に駆け寄った。

 途端、ひとりの人間の頭が消失した。果実人のひとりが放った、音速を超える速度の拳の衝撃波に貫かれたからだ。仲間はそのことを理解する間もなく、立て続けに、羽虫のように抹殺された。

 その後果実人たちは、破竹の勢いで世界中を巡り、オニも人間も容赦なく滅ぼした。間もなく、完璧な存在である彼らによる完璧な世界が完成した。
彼らの活躍を見届けたのか、兆しの木は瞬く間に朽ち果てた。残されたのは、最後の力を振り絞るように実らせた、人間の拳大の果実のみだった。
果実人のひとりはそれを大変丁重に拾い上げると、あらん限りの力で空へと投げた。

 小さな果実は宇宙空間を光速で邁進した。星と同等の速度で徐々に成長しながら、次なる惑星を目指す。

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