【短編】イエローサブマリン(後編)

 潜水艦だった。大きさは電車一両ほど。艦体のおよそ下半分が地面に埋まっている。長時間放置されていたのか、黄色いボディはくすんでいるうえに、苔や泥にまみれて汚れていた。

 ジョージはぽっかりと口を開けて、潜水艦を見つめた。彼の頭の中では様々な考えが沸き出ている。

 まず、何故このような森の奥に潜水艦があるのかが理解できない。あまりに不釣り合いだ。次に色や大きさなどが気になった。ジョージは昨年の夏休みに父親と横須賀に行き、そこで自衛隊の潜水艦を見ている。その潜水艦は黒く、全長も八十mと、黄色い潜水艦の四倍も大きい。また黄色い潜水艦にはある丸い窓はひとつもなかった。旅行後に読んだ子ども図鑑で、水圧の問題で潜水艦には窓がつかないことを知り、ジョージは少しガッカリした覚えがあった。

 ゆえにョージはこの潜水艦を、誰かがここで作った偽物だろうと考えた。だが仮にそうであっても、こんな場所で何のために作ったのかと首を傾げた。

「スゲー! 潜水艦だべ!」

 連野はそう叫んで、一直線に潜水艦へ駆け寄った。真銅と星も目を輝かせて連野に続く。

 彼らは容赦なく潜水艦のボディを叩いた。固く鈍い音が響く。その音を聞きつつ、ジョージもおっかなびっくりと潜水艦に接近し、ベタベタとボディに触れた。

 しばらく物色したのち、連野は威勢よく言う。「うしオメェら、乗り込むべ!」

「おー!」「おー!」「お、おー……」

 連野を先陣に、彼らは汚れた丸い窓に足をかけて艦体に登った。窓に足が届かなかった星は三人で協力して引き上げた。滑らかな曲線の艦体上を、平均台を渡るようにして歩き、艦体中央にある円形のハッチに辿り着く。開け方がわからずひと悶着あったが、最終的には四人がかりで開けることができた。現れた梯子を慎重に降りる。

 艦内は、ジョージの想像以上に不快な空間だった。

 壁や天井は、パイプやバルブ、配線、制御盤が格納されているボックスなどのせいでとても狭い。百五十cm足らずの身長のジョージが両手を広げきれず、ジャンプすれば天井に指先が触れることができた。鉄や油、塗料などの臭いが、ハッチを開けた途端にジョージの鼻を突いた。ジョージはとっさに息を止め、今も鼻をつまんでいる。ゴウゴウという音も耳障りだが、それは耳を塞がずに何とか耐えていた。

 対して連野たちは、狭いことも臭いことも含めたすべてに感動し、よりはしゃいでいた。無邪気な奴ら、と言いたげな視線をジョージが送っていると、ふと気づいた。

 天井の蛍光灯が点いている。さらに、機器が稼働しているからこそこんなにもうるさいのだと思い至った。

 この潜水艦が本物である可能性がジョージの中に芽生えた。そしてある予感を抱く。

「まさか、誰か他にも乗ってる?」

 朝露が滴るように呟いた刹那、頭上で大きな音がした。見るとハッチが閉まっていた。さらに直後には潜水艦が大きく傾き、全員がバランスを崩して倒れた。

「イッテ―……。いったい何なんだ」

 ジョージは腰のあたりを擦った。他の三人も同様に、ぶつけた個所を労わっていた。ほどなく互いに顔を見合わせる。

「地震か?」ジョージは誰となく尋ねた。

「にしては短かったべ」と星。

「んなら何が起こったんだべさ」連野は真銅を見る。

「んなこと俺が知るわけ――。ああっ!」

 唐突に真銅が叫んだ。目をまんじゅうのように丸くして指を差す。

「オメェら、あれ見ろ、あれっ!」

 その方向を全員で見て、全員で驚愕した。

 パイプの隙間を縫うように丸い窓が設置されている。その向こう側で、今、魚の群れが通り過ぎた。さらにはそれを追いかける鮫も通過していった。

 全員で窓にへばりついた。そして窓の外に広がる海中の景色を目にした。たくさんの魚、貝やヒトデ、サンゴ礁や海藻の前を、悠々と通り過ぎた。

 ジョージはめまいを覚えた。いつ、どうやって、森にあったはずの潜水艦が海に移動したのか、まったく理解ができない。ひと思いに頬をつねってみたが、ハッキリと痛みを覚えた。

 紛れもない現実だ。ジョージは鼓動が早まるのを感じた。一方連野たちはますます興奮していた。

「よし、中を探索すんべ! まずは向こうだ!」

 梯子を背にした左右には、円形のハンドルがついた重厚そうな扉がある。連野が思いつきで右を指差したので、全員でそこへ向かい、再び全員で扉を開けた。軽く屈んで中へ入る。

 まず彼らの目に止まったのは、自分たちでは抱えられないほど太い潜望鏡だ。次いで、その奥にある操舵席とUの字型のハンドルにも目が行く。さらに右手には、壁を埋め尽くす電子計測器やスイッチ、ソナースクリーンなどの機器の数々、左手には海図などが広がる大机が彼らの目を奪った。その光景には、錯乱状態だったジョージも大興奮した。間もなく連野たちと一緒になって騒ぐ。感動して、笑って、盛り上がった。

 だがそれも長くは続かなかった。鍾乳石ができるかの如く、ジョージは不安を募らせた。

 要因はいくつもある。ひとつは海図や計測器。そもそも見方がわからないが、それらには初めて目にする文字が書かれていた。もうひとつは窓の外を再度見た時。南海の楽園のような景色から一転、極彩色の地層や手でクロールする魚などを目撃した。他にも、操舵室兼発令所の反対側にあった機関室が無人だったことや、潜水艦の行き先がいまだにわからないことなども、ジョージの心を揺さぶった。

「このままここで暮らすなんてこと、ないよな……」

 彼の独り言に反応する者はいなかった。連野は操舵席で大あくび、真銅はソナースクリーン前の椅子でクルクル、星は潜望鏡を覗き込んで自分の世界に入っていた。機関室探索後から、彼らの興奮はピークを過ぎていた。操縦室でダラダラと過ごす時間がしばらく続いている。やがてジョージも、大机横の椅子に腰を掛けてあくびを漏らした。

 そこに、星の興奮気味な声が響いた。

「おぃオメェら、これ見てみろよ!」

 そう言われ、星の一番近くにいたジョージがまず潜望鏡を覗いた。彼の頭の中は眠気と不安の靄(もや)がかかっていたが、目に入ってきた光景が、突風の如く靄を消し飛ばした。

 海が、まるで空のように上にあった。波打つ水面に乱反射した光が、虹色の輪や柱、雲のような陰影を無数に生み出す。さらには銀色のイルカのような生き物の群れがやって来て、彼らが海底を強く叩いたことで、キラキラと輝く水飛沫(みずしぶき)を降らせた。

 ジョージが学校のプールに潜って仰向けになって見た光景とは、スケールも感動も段違いだった。潜望鏡を覗く目は大きく開き、興奮のため息がこぼれた。

「おぃジョージ、何が見えたんだ? 俺にも早く見せてくれよ!」

 連野がそう言ってジョージの肩を揺らした。ジョージは快く潜望鏡を連野に譲る。まだ見ていたい気持ちはあったが、感動を共有したい気持ちが勝った。潜望鏡を覗き、連野はその場でピョンピョンと跳びはね、真銅は口が開きっぱなしになった。

 ジョージたちはやがて気づくが、潜水艦は現在、空中を水中のように浮遊し、徐々に高度を下げている。眼下にはピンク色の大地が広がる。四人はその光景を潜望鏡から確認し、やはり感動した。

 地面の接近に伴い、艦体の底に四つの丸い穴が自動的に開いた。中から折り畳み式のスタンドが出現する。それを支えに、潜水艦は着陸した。

 着陸した際の微かな振動は艦内にいるジョージたちにも伝わった。無言で顔を見合わせていると、扉の向こうからガチャ! という音がした。全員で部屋を出る。すると梯子の上でハッチが開いていた。

 海水は落ちてきていない。彼らは気づいていないが、呼吸も問題なくできていた。

「ど、どぅする?」星は全員の顔色を窺う。

「行くに決まってんべな!」連野は力強く言った。

「んだんだ、大冒険の始まりだ」真銅は頻りに頷いた。

「僕は残るぞ」

 三人の視線が一斉にジョージに集まった。

 連野は肩をすくめる。「どしたジョージ、ここまできて怖じ気づいたべか?」

「想像してみろよ。僕らがいない間に、潜水艦が勝手に動きだしたり動物か何かに攻撃されたりした時のことを。そうならないように見張りが必要だろ」

「んなことを言って、ホントはオメェだけ帰る魂胆じゃあねぇべな?」真銅はジッとジョージを見た。

「えっ、そうなんだか、ジョージ?!」星は早口に言った。

「違う! そんなこと絶対にしない!」

 緊迫した空気が立ち込める。それを破ったのは真銅の失笑だった。

「ジョーダンだべな。そう怒んでねぇ」

「お前の冗談は冗談に聞こえないんだよ!」

「わりぃわりぃ」真銅は歯を見せて笑った。

「ともかくジョージも行くべな」連野はジョージに手を差し出す。「俺たち、仲間だべ」

 ジョージの目が点になった。連野、真銅、星とそれぞれの顔を見る。誰も見下した目や妬(ねた)ましそうな目をしていなかった。

「わ、わかったよ、しょうがねぇなぁ!」ジョージは赤らんだ顔で言った。

 外は上空の海からの反射光で昼のように明るかった。だが周囲を見渡しても確認できるものは少ない。細いヤシのような木やバランを思わせるギザギザの草、ピンクの岩、牛に似た中型の生物の骨、そのくらいだ。建物などの人工物はなく、生物も見当たらなかった。

「なーんもねぇとこだな」連野は肩をすくめて言った。

「んだな、殺風景だべ」星は口を尖らせた。

「こうしてみるとウチの村の方がマシだな」ジョージは村の景色を思い返す。

「だけんど動物の骨があっから生き物はいるんでねぇか? 捜してみんべ」

 真銅の意見に全員が同意し、彼らは横並びで歩き始めた。

 探索開始から数十分、まだこれといった発見はない。ジョージが振り返ると、潜水艦が米粒くらい小さく見えた。

「なぁ、何か聞こえねぇか?」

 連野が言った。全員一旦立ち止って耳を澄ませる。

 どこからかグチャグチャという音が聞こえてきた。音量は小さいが、耳に粘着するような音に、ジョージは顔をしかめた。

 音は、彼らから見て一時と二時の間の方向、ピンクの岩の向こうから聞こえているようだった。全員が顔を見合わせると、一同頷き、慎重に岩へ向かった。そして到着すると、岩陰からコッソリと様子を窺った。

 一見して、ジョージはそれを人間と思った。肩幅は広いがやせ細った半裸の大人が、こちらに背中を向けて何か作業をしているのだと。だがそれは真っ青な体をしていて、さらに頭には二本の角が生えていた。

 鬼だ。ジョージだけでなく、他三人もほぼ同時に思い至る。

 鬼は地面に座り込み、何かを一心不乱に貪っていた。鬼の横には動物の頭が転がっている。牛のような見た目だが、薄紅色の羽に覆われていた。周辺に血がついた羽が散らばっている。

「うわあっ!」

 連野が叫び声を漏らした。慌てて自分で口を塞いだが、すでに遅かった。

 鬼がジョージたちの方を向いた。血にまみれた鬼の顔が、ジョージたちに背筋が冷えるような恐怖を与える。さらに、ジョージたちを見て爛々(らんらん)と輝きだした鬼の目と目が合って、彼らの小さな心臓を爆ぜるように動かした。

 連野を筆頭に全員が悲鳴を上げて逃げ出した。だが彼らの声は鬼の咆哮(ほうこう)と地面をえぐるような足音にかき消される。

 恐怖が彼らの足を動かす。だがほどなく、星は足がもつれて転倒した。

 三人は一瞬振り向き、足を止めかけた。が、よだれを垂らしてやって来る鬼を目の当たりにし、すぐさま星に背を向けた。

「嘘だべ、おい! 助けて! 助け――」

 断末魔が三人の耳を貫いた。同時に、グシャッともガリッともつかない、血が凍るようなおぞましい音が聞こえてくる。その音を聞きなくない、背後で起きている惨事を見たくない。そのような思いが、彼らの足をさらにさらに速めた。

 ジョージたちはやっとの思いで潜水艦に辿り着いた。息を切らしながらもなんとか艦体に登る。が、三人がどれだけ力を入れても、ハッチを開けることができない。

「くそっ、何で開けられねぇんだ!」

「ジョージ、もっと力入れろ!」

「やってるよ! 連野こそ――」

 ジョージは足首を掴まれた。


 四人の少女が鬼神の森の中にいた。

 先頭を行く小野桃子(おの とうこ)は、うっそうと伸びた草も昼間でも薄暗いこともまるで意に介した様子がなかった。長めの髪を振り乱し、短い脚を目一杯開いて突き進む。

「おぃ桃子! 血迷うんでねぇ! 森にはゼッテーに入んなって言われてんべ!」

 桃子を追う犬井菊枝(いぬい きくえ)はほえた。口から並びのいい歯が覗く。

「黙れ! 純君はウチが絶対に捜し出す!」

「桃子ちゃんは連野さんのことになると、ホントに見境ねぇな」

 三番目を行く雉島(きじま)さくらは呆れた様子で言った。突き出た唇がさらに尖る。

「だからってウチらを巻き込むんでねぇ! いい迷惑だべさ!」

 最後尾、猿石小梅(さるいし こうめ)の金切り声が響いた。葉が触れた丸い耳をとっさに掻きむしる。

「うっさい! 愛こそすべてだ! ウチの饅頭食ったんだべから黙ってついて来い!」

 三人はため息をついた。。

「待っててな純君、あなただけは、ウチが必ず助け出すかんな!」

 連野純をはじめとする四人の少年が行方不明になってから、早一週間が経った。地元警察はもちろん、村の大人たちも総出で彼らを捜索したが、いまだ発見には至っていない。

 そんな中、桃子は大人たちが話しているのを聞いてしまった。「鬼神の森に入ったに違いない」と。間もなく彼女は、連野たちが行方不明になる前日に四人で虫取り勝負をするという話を、犬井とともに聞いていたことを思い出した。

 警察も大人も捜さないなら、自分たちが捜すしかない。そう決心した桃子は、実家の和菓子で作った饅頭を勝手に持ち出すと、一方的に犬井たちに食わせて、無理矢理従わせた。

 犬井が桃子に言い返そうと口を開いた時だった。突然、四人はザバーン! という大きな音を聞いた。

「なな、何の音?!」猿石は早口に言った。

「水の音っぽかったけんど」雉島はキョロキョロする。

「ここ川か池さあったんだべか?」犬井は首を傾げる。

「向こうから聞こえたべ! 行くべさ!」

 音がした方向へ桃子は走り出した。三人は慌てて彼女を追いかける。

 開けた場所に出ると、そこには黄色い潜水艦があった。その艦体は濡れ、水浸しの地面に半分ほど埋まっていた。まるでたった今、水中から浮上したような有様だ。

 誰もが呆然と見ていると、艦体の上にあるハッチが開いた。

「純君?!」

 桃子は期待に富んだ声を上げた。だが中から現れたのは連野ではなく、二本の角だった。


《了》

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