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化けの皮(2/4)

 週明け、クラスの雰囲気がどこかピリピリしていた。

 朝のホームルームをしようと俺が教室に入った時、いつもならだらだらと席に着いている彼らが、強力な磁石に吸い寄せられたかのように一瞬で着席した。これまで幾度となく注意してもそんなことは一度もなかった。さらには出席を取っている間、彼らの視線がチラチラと特定の人物に集まっていた。大場と笹倉だ。

 笹倉は酷く機嫌が悪そうだった。艶のいい唇がわずかに尖っていたし、出席の返事も普段よりも大分低い声だった。一時間目の理科の授業の際も、時折熱っぽい視線を送ってくることもある彼女が、俺とまったく目を合わせずに黙々と机に齧りついていた。おそらく仲の良い峰あたりと手紙のやり取りでもしているのだろう。だが、眉間に皺を寄せて書くほどの内容とは、一体なのだろうか。

 一方大場は、判で押したような普段通りの立ち居振る舞いだった。表情もいつも通り。着席の様子もいつも通り。返事もいつも通り。授業態度もいつも通り……。違いといえば髪型くらいだろうか。先週までは肩にかからない程度のストレートだったものが、今日は彼女から見て左側の髪を少し結んでサイドテールにしている。大場も女の子だ。髪型を変えても何の不思議はない。

 授業終了のチャイムが鳴った。結局、二人に間に何があったのか、その時間ではわからなかった。休み時間になったら、どちらかにそれとなく聞いてみるとしよう。

 ざわつくのを抑えるため、俺はやや大きい声で言う。

「それじゃあ金曜に出してた宿題チェックするから、後ろの人、ノート集めて持ってきて」

 一番後ろの席の児童たちが、各列のノートを回収しながらやって来る。その中には大場もいる。笹倉との間に何かあったのかやはり気になるところだが、あの子のことだから、淡々と言われたことをやって、淡々と戻っていくだけ――だと思っていた。

 大場が笑った。それも含みのある冷たい笑みだ。子どもが見せる無邪気なものではない。鳥肌が立った。

「先生」

「な、何だ、大場?」

「鼻毛が出てますよ」

 途端、子どもたちが一斉に俺に注目し、瞬く間に俺を揶揄し始めた。

「鼻毛?!」

「先生鼻毛出てるのー?」

「えーマジで?!」

「僕も見るー!」

「先生手ぇどけてよー! 見えないじゃーん!」

「見なくていい! 見なくていい! みんな席戻って!」俺は声を張る。「あぁもういい! 藁縁、挨拶して!」

 日直の藁縁に無理矢理挨拶をさせ、俺はその場をやり過ごす。回収したノートを籠に入れて教室を出た。

 教室を出る直前、視界の端に大場の姿が映る。自席に戻っていく彼女のサイドテールが、ピョコピョコと揺れていた。

 職員室に荷物を置いたのち、俺は職員用トイレに駆け込んだ。他の先生方はいない。安心して鏡を覗く。

 かなり入念に確認したが、鼻毛は出てなかった。鼻をほじってみても出てこない。

 大場のヤツ、俺をからかったのか? そんなことをするような子には思えなかったが……。

 というか、なぜ突然そんなことをしたんだ。例えば、立花だったらウケ狙い、笹倉なら俺に構ってほしいなどという目論見があるだろう。だが大場に対しては、そのようなことが思い至らない。

 それにあの笑い方は何だ。やはり含みがあるように思えた。今まであの子が笑ったところを見たことがないから、もしかしたらあれが普通の笑い方である可能性もあるが……。

 などと考えている内に予鈴が聞こえてきた。二時間目に俺の持ちクラスはないので急ぐ必要はないのだが、こんなところにいつまでもいても仕方がない。職員室に戻って、宿題のチェックをしよう。


 昼の休み時間というのは、教師にとってはあまり休めない時間だ。もっぱらテストや宿題の採点、次の授業の準備、学級通信や小テストの制作などの雑務をこなさなければならない。そこに学校行事の準備なども加わると、おちおちコーヒーも飲んでいられない。まぁ、うちの学校は運動会は春にやるし、今度の林間学校の準備もほぼ終わっている、今の時期は比較的のんびりできる。

 しかし、そんな時に限って予想外のことが起こるのは、どこの職場でも同じなのだろう。ここで代表的なのは、子どもたちが喧嘩沙汰を起こしたとか大怪我をしたとか物が紛失したなどだ。それらならばまだマシだ。マニュアルも用意されているので対処のしようがある。

 だが、児童から呼び出しを食らうという事態に対応できるマニュアルは、きっとどこを探してもないだろう。

「お忙しいところ来てくれてありがとうございます」

 大場は淡々と言った。その口調も、仏頂面な表情も、ガラス玉のような眼も、いつも通りだ。いつも通りなのに、なぜこんなに胸騒ぎがするのだろうか。もとより、宿題で回収した大場のノートから俺宛の手紙が出てきた時点で、いささかの不安があった。

 俺は文芸部の部室に来た。ここは普通教室の三分の一程度の広さしかない。加えて、両サイドには文芸誌等を収めた本棚、中央には長机が二台並べてあるからに、より一層窮屈さを覚えた。

「大切な教え子からのメッセージとあれば、どんなに忙しくても優先するさ」

「ありがとうございます。どうぞお入りください」

 言われるがまま、俺は中に入った。ほどなく背後でカチャ! と物音がした。見れば、大場がドアの鍵をかけていた。

「何で鍵を閉めた?」

「邪魔が入るのが嫌だからです。何か問題でもありますか?」

「俺は閉鎖的な空間があまり好きじゃないんだ」

「閉所恐怖症なんですか?」

「そこまでじゃないが、ちょっと気持ち的に余裕がなくなるんだ。窓を開けてもいいか?」

「いいですよ」

 いいですよ、か。主導権を握られているようでどうにも癪(しゃく)だ。

 俺は机の横を過ぎ、入り口の真正面にある窓を開けた。夏の名残を感じる湿った風が入ってきて、俺の顔を撫でた。少しばかり気分が落ち着いた。
大場は既に椅子に座っていたので、俺はその向かいに座る。

「それで何だ、俺と二人きりで話したいことって」

 実は、と言いながら大場は、隣の椅子の上に置いてあった、手提げの鞄の中から何かを取り出した。ハンディーカムだった。授業に関係のないものを持ってきていることを注意したいところだが、話の筋がずれるそうだから今は控える。

「先生に観てもらいたいものがあるんです」

「何だ?」

 大場はカメラを操作した後、モニターを俺の方に向けた状態にしてそれを机に置いた。モニターが小さかったため、俺はカメラを手に持って、近くでそれを観た。

 教室が映っている。教室の後ろから黒板を捉えたアングルだ。掲示物などから、うちのクラスであることと、先日の金曜日に撮られた映像であることがわかる。黒板の上にある時計は四時を過ぎたところだった。

 室内に見える人影はひとつだけだった。その後ろ姿にも見覚えがある。笹倉だ。自席で何やら作業をしてる。

 これは大場が撮影したものなのか。なぜ撮影したのか。なぜこんなものを俺に見せるのか。それらの疑問を大場に尋ねようと俺は顔を上げた。

『あ、やっと来てくれた!』

 謀(はか)ったかのようなそのタイミングでカメラから声がした。俺は再びモニターに目をやる。

『太郎くん、太郎くん! 今日の私の理科のテスト、何点だった? 何点だった?!』

 モニターの中の笹倉は意気揚々と席を立ち、教壇の方へと駆けていく。そこには前の扉から入ってきたばかりの俺がいる。

 背中がじわりと熱くなった。この先の展開を俺は当然知っている。

 すぐにでも映像を止めて、大場を問い質さなければならない。頭ではわかっているのだが、俺の目は映像に釘付けになって他の体の動きを制限させている。

『百点だったよ。よく頑張ったな』

『ホントに!? やったやったー!』

 笹倉は俺から離れ小躍りをした。ほどなくしてそれを終えると、思わせ振りに俺の方を向いた。少し背伸びをするような体勢の彼女に俺はゆっくりと顔を寄せ、躊躇なくキスをした。

「綺麗に撮れてますよね」

 いつの間にか、大場は俺のすぐ横に立っていて、並んで映像を見ている格好になっていた。チョコレートのような甘い匂いが俺の鼻をくすぐる。笹倉よりも発育がよく、小さな谷間が襟口の隙間から覗き見えてしまった。

「もう少し過激なのを期待してましたけど」

 大場は俺からカメラを取り上げる。彼女の表情はこれまでと変わらないが、その双眸はどこか爛々と輝いているように思えた。

「二人はいつからこういう関係なんですか?」

「……答えなきゃいけないか?」

「答えたくないのならいいですよ、おおよそ推測はついてますから。去年の夏休み中かその直前ですよね」

「どうしてそう思うんだ?」

「笹倉さんが前に言ってたんですよ。『もうすぐ好きな人の誕生日だから、プレゼント買いに行くんだ』って。たしか去年の七月の頭くらいに。先生の誕生日って、七月の十九日ですよね? だから一学期の終業式のあとにプレゼントを渡すついでに告白したか、夏休みにも会う約束をしたんだろうなって。当たってましたか?」

 概ね当たっている。放課後、教室に残っていた笹倉にボールペンをプレゼントされた俺は、その場の勢いで思いの丈を彼女に伝えたのだ。OKをもらったその直後に、デートの約束取り付けた。

 無論、大場には「違う」と答えたかった。こんな子どもに全てを見透かされているのが癪だった。しかし俺の口からはその言葉が中々出てこなかった。

 大場は、鼻先がくっつきそうになるほどに俺に顔を近づけてきていた。眼鏡の奥に見える彼女の目は、少しばかり黄色がかった虹彩が特徴的だった。それが、俺の考えなど全て見通しているかの如く、俺の目をまっすぐ見つめている。

 ここで俺の目が泳いでいたり顔を背けたりしたならば、彼女の推測が的中していることが悟られてしまう。だから俺もじっと彼女の目を見つめる必要があった。だがそうすると、口を動かすことがさらに難しくなった。

 結局、俺は何も答えることができなかった。答える前に大場が諦めた。

「ま、そんなことは今はどうでもいいですね」大場は席に戻る。「今重要なのは、先生が私に、この映像をどうしてほしいのかってことなんですから」

 やっぱりそう来るよな。俺は椅子に凭れ、溜息混じりに言う。

「是非消してほしい。コピーとかがあるなら、それも含めて完璧に」

「わかりました」

「で、大場は先生に何をしてほしいんだ?」

「聞いてくれるんですか?」

「可能な限り答えようとは思う」

「本当ですか?!」

 大場は年相応の華やかな笑顔を浮かべた。その表情が一瞬、笹倉の笑顔と重なったように見えた。

「それなら、私を先生の彼女にしてください」

「――え?」

「私、一目見た時から先生のことが大好きだったんです。先生はもう覚えてないかもしれませんけど、三年の時にグラウンドで私がクラスの女子たちに冷やかされていた時に、百田先生が助けてくれたんです。『人のことを馬鹿にして楽しんでるような子は、将来必ず自分も同じような目に遭って、しかも誰にも助けてもらえないぞ』って言って。他の先生だったら多分、『みんな仲良くしろよ』とか『弱い者苛めはよくないぞ』とか、そんな吐き気がするような綺麗事しか言わなかったと思うんです。あるいは見て見ぬフリをするかです。でも先生は違ったんです。それが凄く凄く格好良くて、本当に格好良くて、助けてくれたこともあって泣いちゃうくらいでした。それからずっとこの思いを誰にも話すことなくずっと胸に秘めてきました。でも自分でもよくわかってました。年齢差とか立場とか以前に、私みたいな地味なヤツは先生には相応しくないって。そうしたら案の定、笹倉さんみたいな愛嬌がある子と付き合っていることを知って……。予想してたことのはずなのに、私は胸に電柱を突き刺しにされたようなショックを受けました。その時に先生のことを諦めてしまえばよかったのに、私はズルズルと思いを引き摺って、募らせて、拗らせて……。いつの間にか先生への好きな気持ちよりも、あの女を恨む気持ちの方が大きくなっていました。だから、自分自身に嫌悪感を抱きつつも、先生と笹倉さんを尾行したり鞄にカメラを仕掛けて盗撮したりして、二人の弱みを――」

「ちょ、ちょっと待ってくれ!」

 あまりにも早口な大場の話を、俺はようやっと遮った。それによって大場も我に返ったのだろう。机の上を伝って俺の眼前にまでに迫っていたことに気づいて、そそくさと席に戻った。

「すみません、取り乱しました」

「いや、それはいいんだ。そんなことより、大場は俺のことが好きだったのか?」

 大場は口元を緩め、少し俯いた。

「面と向かってそのように言われるとむず痒いですね……。でも、はい、私は先生のことが大好きです。だから私を先生の彼女にしてください」

「そうすれば映像を消してくれるんだな」

「付き合うフリは駄目ですよ。笹倉さんと後腐れなく分かれて、そして私のことを笹倉さん以上に愛してください。そうしてくれたら――」

「そうしてくれたら?」

「私は先生に何でもしてあげます。笹倉さんが先生にしてくれなかった、ありとあらゆることを」

 俺は思わず生唾を飲み込んだ。「何でもする」なんて言葉は、子どもが親にほしいものを強請る時の常套句であり、それは大概口先だけの場合が大半だ。だが笹倉のそれは明らかに違っていた。妖艶で蠱惑的な声が、俺の欲望を駆り立てる。

「さぁ先生、答えを聞かせてください。お昼休みが終わってしまいますよ」
俺は腕の上に頬杖を突いて考える。

 大場の要求は決して難しいものではない。あれが明るみになったら、俺の教師生命はもう終わりだ。要求はのむべきだ。

 だが笹倉がキッパリと別れてくれるかが問題だ。恐らく一筋縄ではいかないだろう。完璧な論理武装をしようが泣き脅しをしようが、あの子の性格を考えたら、頑なに拒否することは目に見えている。どうしたらいい……。
悶々と悩んでいる俺を他所に、大場は薄ら笑みを浮かべて俺のことを見ている。サイドテールを指でクルクルと回しているその様は、余裕の表れと共に俺の回答を急かしているような――あっ!

「大場、お前、それ!」 

「やっと気づいたんですか」

 そう言って大場は俺にそれを見せつける。

「そうですよ、先生がこの間笹倉さんに買ってあげたヘアゴムと同じものです」

 本当に俺たちのことを尾行してたのか。ハッタリでも何でもなかったのか。

「笹倉さんは今朝一瞬で気づきましたよ。それでもって、私にいちゃもんをつけてきたんです。『私の真似をするな』って。だから私は言い返してあげました。『偶然だよ。所詮は大量生産された商品のひとつなんだから、私以外にも、この学校の子で着けてる人がいてもおかしくないはずだよ。なのにわざわざ注意してくるなんて、よっぽどこれに思い入れがあるんだね』って。そうしたら笹倉さん、何も言えなくなって、じっと私のことを睨んでいましたよ」

「笹倉の機嫌が悪かったりクラスの雰囲気が変だったのはそのせいか」

「そう言うところには気づくんですね」

 大場は拗ねたような口調で言った。事実、彼女の口は少し尖っていた。
そうこうしているうちに、昼休みの終わりを報せるチャイムが鳴った。あと五分で五時間目が始まる。

「時間が来てちゃいましたね。まだ答えは出ませんか?」

「……もう少し待ってほしい」

 大場はわかりやすく肩を竦めた。「仕方ないですね。いいですよ。ただし、期限は設けさせてもらいますね。今度の林間学校が終わるまでです。いいですか?」

「わかった……」

「データを消すのは笹倉さんとキッパリ別れてからです。それと今日のことは他言無用でお願いします。もちろん私も、それまでこのことを誰かに言うつもりは決してありませんから、そこは安心してください」

 いまだ主導権は大場にあるのだと感じつつ、俺は短く返事をした。

 大場は椅子から立ち上がった。ポケットから取り出したものを机に置いて、俺に差し出した。鍵だ。バナナのキーホルダーがついている。

「私が先に出るので、鍵は先生がかけておいてもらえますか。その後鍵は私の机の引き出しにこっそり入れておいてください」

「なら一緒に出ればいいじゃないか?」

「私といるところを誰かさんに見られたら、面倒なことになっちゃいますよ? それでもいいんですか?」

「よくはないな……」

「それなら、私の言う通りにしてください」

 大場の口調は柔和で、上から目線な印象は受けなかった。だが妙な引っ掛かりを覚えた。この子は随分と頭が回る子だ。

「それじゃ、お願いしますね、先生」

 大場はそう言うと、鞄を持ってそそくさと教室を出ていった。その後、俺は五時間目開始のチャイムが鳴り終わり待ってから教室を出た。


「太郎くん! ちょっとここ座って!」

 放課後、クラスのドアを開けた途端に笹倉に言われた。彼女は絵に描いたようなご立腹な表情だった。俺は彼女の言う通りに、彼女の前の藁縁の椅子を借り、机を挟んで向かい合う。

「今朝から様子がおかしかったみたいだけど、何かあったのか?」

「そうなのよ! あのね、あの根暗クソ眼鏡がね――」

「言い方」

「大場さんがね、酷いんだよ!」

 笹倉は大場に対する不平不満を矢継ぎ早に口にする。それは今朝の出来事に留まらなかった。

 笹倉と大場は幼稚園の頃からの幼馴染だったらしい。そして笹倉は、一目見たときから大場のことを嫌っていたとのことだ。元来の愛嬌の良さで周囲と和気藹々と交友しつつも常にグループの中心的存在になっている笹倉と、文芸などでひたすら寡黙に自分の世界に埋没することを好み他人と距離を置いている大場とでは、まさに水と油。犬猿の仲になるのも納得だ。

 おそらく大場も、笹倉に嫌悪感を抱いていたのだろう。昼休みに大場が今朝の笹倉との口論を語っていた時の彼女の目は、俺に愛の告白した時とはまた違った輝き、優越感のようなものを孕んでいた。

 そのような、長年互いに互いを棲み分けていた彼女たちが今、相見えようとしている。その渦中のど真ん中に俺がいる。

 これが修羅場というやつなのだろうか。これを回避する手立ては――。

「――ねぇ、ねぇ太郎くんってば! 私の話聞いてる?」

「えっ? あぁ、聞いてる聞いてる!」

 咄嗟に返事をしたものの、笹倉はすぐさま疑念に満ちた視線で俺のことをじーっと見てきた。 

「ねぇ、今日のお昼休み、どこいたの?」

「えっ!? あ、あぁ、給食食べたあと急にお腹が痛くなってさ、トイレにしばらく籠ってたんだ。そのあとは保健室に行って薬貰ってた」

「ふ~ん」

「昼休み、俺に会いたかったのか?」

 笹倉の表情がさらに険しくなり、ジワジワと俺に顔を寄せてきた。黒真珠のような瞳にじっと見つめられる。

 昼間の大場といい今の笹倉といい、そんな風に相手の顔を凝視するのが最近の子の流行なのだろうか。ともあれ、嘘が悟られてはいけない。大場の時と同じように、俺は笹倉の目をじっと見詰め返す。

 ややあって、笹倉が顔を離した。机に頬杖を突く。

「太郎くんさぁ、自分が嘘ついてる時、瞬きが異常に少なくなってこと、気づいてた?」

「えっ、嘘?!」

「ホント。チョーわかりやすいよ」重い溜息をついたのち、笹倉は蛇のような鋭い眼光を俺に向ける。「まさかとは思うけど、あの女と会ってたんじゃないよね?」

「! え、えっと……!」

「会ってたの? 会ってなかったの!?」

 笹倉は机に手を突いて立ち上がった。俺はその圧力に負け、渋々首を縦に振った。

「何を話したの?」

「それは……言えない」

「何で?」

「……それも言えない」

「あの女に口止めされてるの? そうなんでしょ?」

 俺は強く口を結んだ。笹倉の視線はいまだ鋭く、俺は彼女と目を合わせることができなった。

 ほどなく笹倉は荒々しい溜息を吐き捨てた。

「わかった。太郎くんはそのまま大人しくしてて。あいつとはいい加減決着をつけなきゃいけないって、ずーっと思ってたから、むしろいい機会よ」

「何をする気だ?」

「太郎くんが何も教えてくれないから教えない」

「は、はい……」

 笹倉はそのまま「さようなら」も言わずに、荷物を持ってそそくさと教室を出ていった。

 俺は独り残された教室で、額に手をつき深く溜息をついた。彼女があんなんじゃ、別れ話を切り出すのは無理そうだ。かといって時間的猶予はあまりない。

 やはり大場とのやり取りを笹倉に話してしまおうか。そうすれば二人で協力し、大場からあの映像データを盗み出して処分することもできる。でもあの大場のことだ。絶対にコピーは取ってあるに違いない。もしそれを見つけられなかったら……結末はもう見えている。

 逆に、今の笹倉とのやり取りを大場に伝えてみるのはどうだろうか。彼女なら状況を察し、笹倉とうまく別れる方法を考えてくれるかもしれない。大場としても、俺と笹倉が別れられないとなっては、業を煮やすことだろう。
そこまで考えて、はたと気づく。

 いい歳した大人が小学生の女の子に頼るな。

 また溜息が漏れた。

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