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化けの皮(1/4)

「先生! バナナはおやつに入ります?!」

 立花(たちばな)は鋭く手を上げ、大声でそう言った。それを聞いた児童たちは大笑いした。

 六年生にもなってそんな幼稚な質問をしてくるか。まぁ、お調子者の立花にとってはテッパン中のテッパンなのだろう。かく言う俺も、そんな馬鹿馬鹿しい質問をした覚えがある。それゆえに模範解答も心得ている。

「おやつには入らないから、好きなだけ持ってきていいぞ」

「えっ、マジで?」

「ただし、バナナは潰れやすいからな、立花のリュックの中がバナナまみれになる覚悟はしておけよ」

「えー?!」

 先程よりも大きな笑いが教室に巻き起こった。予想以上のウケっぷりに、俺も思わずニヤけてしまう。一方の立花も、不服そうではあったが、周囲の賑やかしの男子たちにいじられて、まんざらでもない表情をしていた。

「他に質問はあるか?」

「はあーい」

 窓際の方から返事があった。見れば、笹倉(ささくら)が不敵な笑みを浮かべて手を上げていた。つぶらな瞳が細くなり、薄紅色の頬にはえくぼができていた。

 いい予感はしないが、無視もできない。

「はい、笹倉」

「先生がいつも彼女と一緒に食べてるおやつって何ですか?」

 立花の時とは異なる喧騒が生まれた。

「先生彼女いんの?!」

「誰、誰?!」

「久里浜(くりはま)先生じゃねぇ?」

「えっマジ?!」

「やっぱりおっぱい大きいから?」

「不倫だ、不倫だ!」

「人妻と不倫だ!」

 多感なお年頃なのは重々わかっているつもりだが、こういうおふざけには毎度苦しめられる。児童たちの矢継ぎ早な質問は、まるで丸めた紙で作ったつぶてのようで、痛くはないが中々に煩わしい。

「はいはい、みんな静かに!」俺は強く手を叩いた。「笹倉、関係のない質問はしないように」

「えー、関係ないことなくなぁい?」

「なら言い方を変える。場にそぐわない質問はしないように」

「だって気になるじゃん」

「仮に気になったとしても、駄目なもんは駄目なんだ」

 笹倉は艶やかな唇を尖らせた。

「それとお前ら、久里浜先生は先生の尊敬する先輩ではあるけれど、断じて交際はしてないからな。妙な噂を立てるんじゃないぞ」

 彼らは間延びした返事をした。

「ちゃんとした質問はないのか? ないようなら、残りの時間は自習にするぞ」

 誰か何かないのかよと言わんばかりに、児童たちはキョロキョロと互いの顔を見合う。なさそうだなと判断して俺が口を開きかけた途端、ひとりの児童の手がゆっくりと挙がった。

 教室の一番後ろにいる大場(おおば)だった。今日もこけしのように物静かに佇んでいる。彼女が手を挙げると、ほぼ全員の注目が彼女に集まり、室内のざわつきが途切れた。

「はい、大場」

「先生、しおりには当日の集合時間は書いてありますけど、集合場所は書いてません。どこに集まればいいんですか?」

「えっ、書いてなかったか?」

 俺はしおりの該当箇所を確認した。他の児童たちも我先にと確認し、「ホントだ、なーい」「書いてないじゃん」などと声が上がる。俺は他のページも確認したが、大場の言う通りだった。思わず頭を掻いた。

「済まない、こっちのミスだ」

 俺はデスクの上からスケジュール帳を取ってきて、ページを捲る。

「えー、朝の集合場所は昇降口前の広場だ。先生たちがあらかじめ来てるから、そこにクラスごとに集まっておくように。全員の出席が確認出来たら出発の挨拶して、そのあと校門前のバスに移動する感じになるから。それで悪いけど、集合場所を忘れないように、みんな、しおりの空いてるところに書いておいてくれ」

 ほぼ全員が揃って返事をし、顔を下に向けた。こういうところは素直で可愛気がある。

「大場、気づいてくれてありがとうな」

 大場は表情をまるで変えることなく、小さく頷いた。黒いフレームの眼鏡の奥にある彼女の目は、どこかガラス玉めいた印象を受けた。

 去年から彼女の担任をしているが、大場が感情を表に出したところをみたことがない。いつも独りでいる。成績は優秀で、運動も平均的にできる。受け答えもハッキリしている。他人との距離を取っている節はあった。
気にかかるところだが、大人しい子はどうしても、問題児や賑やかな子たちの後回しになりがちだ。


「百田(ももた)先生、お疲れ様」

 職員室でテストの採点をしていると、横から声をかけられた。久里浜先生だった。大量のノートを俺の隣にある自分のデスクにドンと置いた。

「お疲れ様です」そう言ったところで、デスクに貼っておいた付箋に目が行った。「久里浜先生、ちょっとお話が」

「お、何々? デートのお誘い?」

「違います」

「なーんだ、つまんない」久里浜先生は椅子に座る。

「先生はご結婚されてるでしょ。やめてくださいよ、そういう冗談は」
先ほどクラスの子たちにもからかわれたことは黙っておこう。

「あら、人妻になってしまった女性にはもう魅力がないって、先生はそうおっしゃるんですか?」

「いや、久里浜先生は魅力的な女性だと思ってますが……」

「ホントに?! 嬉しいこと言ってくれるじゃない、こいつめ!」

 久里浜先生は俺の背中を強く叩いた。とてもいい音が鳴って、他の先生方の注目を一瞬だけ集めた。

「で、何の話だっけ?」

 俺は背中をさすりながら言う。「さっき鬼無先生にもお伝えしたんですが、今度の林間学校のしおりに、初日の朝の集合場所が書いてなかったんですよ」

「えっ、嘘?」

 久里浜先生は引き出しからしおりを取り出し、ページを捲った。ほどなく頭を掻く。

「あー、やっちゃったー。書いたつもりになってたわ」

「明日クラスの子たちに伝えてあげてください」

「うん、そうする。ありがとね」

「いえいえ。俺が気づいたわけじゃないし」

「えっ、そうなの? なーんだ、お礼言って損した」

「そこまでの損害ですか?」

「クラスの子が見つけてくれたの?」

「はい、大場が気づいてくれました」

「大場? 大場七海(ななみ)さんのこと?」

「そうです」

 ふ~ん、と久里浜先生は声を漏らした。何か言いたげな顔をしていたが、それを口にすることはなく、宿題をチェックし始めた。

俺も今日の理科のテストの採点終わらせないと。赤ペンを取り、答案用紙に改めて向かう。立花の点数は三十三点っと。


チャイムが鳴った。下校時刻だ。

「見回り、行ってきます」

「よろしくー」

 久里浜先生に手を振られながら、俺は職員室を出た。戸締まりやら居残っている児童の確認などをしながら、廊下を歩く。

「先生、さよーならー!」

「さよならー!」

「はーい、さようならー」

 教師になって気づいたことは枚挙に暇はないが、毎日のように思うのは、子どもたちは学年問わずみんなパワフルだということだ。彼らには毎日たくさんの元気をもらっている。

 気づけば六年一組の教室に辿り着いていた。担当クラス故に、チェックを多少おざなりにしたり反対に入念になり過ぎることは、教員の間ではよくあることだ。俺はどちらかと言えば後者であるからに、少し雑にやるくらいの心持ちでいよう。ドアを開ける。

「あっ、やっと来てくれた!」

 室内には笹倉がひとりで席に座っていた。俺が教室に入ってくるや否や、彼女は駆け寄ってきて、俺の腹に思いきり抱きついてきた。髪の毛の隙間から微かに見えるハート型のほくろが可愛らしい。それを言うと彼女は「子ども扱いしないで」と機嫌を悪くするからに、俺はその感想を胸の内にしまった。

「太郎くん、太郎くん! 今日の私の理科のテスト、何点だった? 何点だった?!」

「百点だったよ。よく頑張ったな」

「ホントに!? やったやったー!」

 笹倉は俺から離れ小躍りをした。ほどなくそれを終えると、思わせ振りに振り返る。そして胸を張った姿勢で目を閉じた。ご褒美のおねだりか。仕方がないな。

 俺は笹倉に近づき、ピンク色の小さな唇に自分の唇を重ねた。

 ややあって顔を離すと、笹倉は頬を赤め、照れ臭そうにしていた。

「なんでお前の方が恥ずかしがってんだ」
「だ、だって……今まで何度もおねだりしてもしてくれなかったから……だから今回もホントにしてくれるなんて思わなくて……」

「笹倉が一生懸命頑張って、それがしっかり成果として表れたんだから、ご褒美をあげるのは当然だろ」

 そう言って俺は笹倉の頭を撫でた。サラサラの髪の感触が心地よい。ミルキーなシャンプーの香りがふわりと鼻を掠めた。

 笹倉は恥ずかしさと嬉しさが入り雑じった表情を浮かべた。普段は大人をからかうマセた子だが、こうしてあげると途端に大人しくなって愛らしい表情を見せてくれる。

「あ、そう言えば」俺は笹倉の頭から手を離す。「笹倉、ホームルームの時のあの質問は何だ? からかうのも大概にしろよ」

「だってぇ、最近の太郎くん素っ気ないんだもん。前はちゃんとリアクションしてくれたのに。あと二人きりの時は『ちえり』って呼んでくれなきゃイヤ」

 このクラスの担任になったばかりの頃から、この子は熱心にアピールしてきた。手を小さく振ったりウインクしてきたり、投げキッスされたこともあった。その可愛らしさと健気さに惚れてしまった俺も俺なのだけれど、この子にはもう少しTPOってものをわかってほしい。

「わかったよ、ちえり。次からは多少はリアクションするようにする。その代わり、あんな露骨なのは避けてくれよ?」

「はーい」

 返事だけはちゃんとしてくれるんだよなぁ、こいつは。

「さぁ、もう下校時刻は過ぎてるぞ。ちえりも早く家に帰りなさい」

「太郎くんも一緒に帰ろ」

「俺はまだ仕事が残ってるから帰れないんだよ」

 えー! と笹倉の声が室内に響いた。

「今日は塾ないから一緒に帰れると思ったのにぃ! このヘアゴムだって可愛く着けてきたんだよ! ほらほら!」

 笹倉はうなじの辺りで結んだ髪をまとめているヘアゴムを俺に見せつけた。ちえりが好きなピンク色のリボンがついたそれは、この間のデートの時に俺が買ってあげたものだ。

「着けてきてくれたのは嬉しいけど、無理なものは無理なんだ」

「せっかく待っててあげたのにー」

「悪かったよ。でも一緒に帰ってるところを誰かに見られたら色々とよろしくないんだって、何度も説明してるだろ? わかってくれよ」

「ロリコンって言われるのそんなに嫌?」

「どこで覚えたんだ、そんな言葉。いやそうじゃなくて――」

 ガラガラ! と背後で物音がした。ハッとして振り返ると、そこには大場の姿があった。

「大場じゃないか。どうした、忘れ物か?」

「はい。体操着を忘れしまって、取りに戻って来ました」

「そ、そうか」

 この状況、ちょっとヤバいんじゃないか? 先生ならまだ言い訳ができるが、児童となると少々難しい。おまけに俺のクラスの子だ。大場がひとりでいることが多い子だったとしても、このことを誰にも話さない保証はない。ほんの一言誰かの耳に入ったら最後、あっという間に噂は広まって、尾びれ背びれがついて――

「センセー、私ももう帰るね」

 笹倉が明るい声で言った。彼女はいつの間にか自分の席まで移動しており、ランドセルを背負っているところだった。

「わからないとこ教えてくれてありがと。また月曜日ねー。バイバーイ!」

「え? あぁ、さようなら」

 笹倉は大きく手を振りながら俺の前を通り過ぎ、あっという間に教室を出ていった。

 あとから何か要求されそうな気もするが、とりあえず助かった。笹倉はこういう時によく機転が利く。

 大場はといえば、平然と教室後ろのロッカーに行き、体操着が入っているのであろう手提げ鞄を取り出していた。その様子を見ていると、大場がふと振り返り、目が合った。

「どうかしましたか?」

「い、いや別に。大場も気をつけて帰るんだぞ」

「はい。さようなら」

 ちえりとは対照的に、大場は静かに教室を出ていった。
ドアが閉まる直前、彼女の口元が不気味に歪んだように見えたのは、果たして気のせいだろうか。

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