[演劇#002] 獣の柱|イキウメ
2019/05/16 @世田谷パブリックシアター シアタートラム
イキウメによる今作は、同劇団が2013年に公演した作品のリメイク版である。
フライヤーは、目を引くVIとダニラ・トカチェンコによるストイックなヴィジュアルを採用。そして「瞬きさせない宇宙の幸福。」という文言に、早くも今作のスケールの壮大さを予感させる。そんな期待を抱きながら三茶のシアタートラムに赴いた。
今作は、時間と空間を重層的に組み上げる前川作品の中でも、比較的わかりやすいストーリーラインであったように思う。一度目にしたら思考停止させる隕石に対し、それらからの解放(解法)を求め行動する人類の物語だ。
2001年⇄2051年の時空の行き来や、天から降り注ぐ巨大な「柱」と立ち向かい生き抜こうと画策する人類に、小さな劇場を超えた壮大な世界を見た。
脚本の強度と語り口の妙
前川の脚本には強度がある。
今作は白い服を着た謎の人間たちによる意味ありげなモノローグから始まる。私たち観客は集会の一聴衆として没入し、戸惑いながらも、じっと聞き入ることとなる。演劇ならではのメタフィクショナルな仕掛けで面白い。
そして、舞台は2001年の地方都市・高知へと一気にスケールアウトする。地方での日常生活と、その中で起こる不可解な事件…。事件の鍵を手にした輝夫たちは、やがて日本列島に巻き起こる大災害を前に、生き延びるための活動を開始する。
大災害の引き金は、「柱」。一度見ると多幸感とともに目が離せなくなってしまう宇宙からの贈り物、である。人類を破滅へと導くこの産物に、新人類はやがて、ご神体として崇めるようになる。
話は脱線するが、人類と対峙する対象物として柱をモチーフとしたのは興味深い。
建築的な視点で見ると、人類は洋の東西を問わず柱に象徴的意味を付加してきた。西欧においては、15世紀のルネサンス期の建築家たちが、1,000年近く前に途絶えた古代ローマの建築を、オーダー(柱と梁の形状の規範)として体系化し、建築思想を見出した。一方、日本では、古来より柱は神の依代(よりしろ)として、時には神そのものとして、人々の信仰の対象であった。
モチーフの柱が歴史的文化的文脈と繋がるように、登場する要素を掘り下げると、物語に奥行きが増す。この多層性こそが、前川作品の真骨頂であり、脚本の強さであろう。
そして人類の危機をテーマとしながらも、決してシリアスになりすぎず、独自のユーモアも挟んでくるあたりがなんとも憎い。イキウメ特有の語り口はおおよそ2時間弱とは感じさせないほど大きな魅力である。
破滅をもたらす「幸福」という本性
従来の宇宙人侵略系の物語は、そのほとんどが、得体のしれないものに対する圧倒的な脅威と、人類がそれに打ち勝つ術を模索するという筋書きだ。しかし本作はそれとは一線を画す。
空から降る巨大な「柱」を見ると、多幸感に囚われるが、そのあまりの過剰さゆえに人類に厄災をもたらす。ほかのことが一切できなくなるという、死に至る快楽である。
つまり、人の本能的・動物的な、「獣の」感情をいかにうまく制御するかが人類生存の鍵となっている。SF題材には前例がないであろう、「幸福」という感情をテロの誘因としたところに、イキウメの独自性がある。
早稲田大学・建築史家の中谷礼仁は、人の誕生や死、睡眠、性の営み、創作活動に対し、「人の日常とは別の状態」「自らの意識においては自らを制御しえない状態」と言う。
このように、コントロールし得ない人の欲望が破滅を招くと解釈することもできる。かつての公演*でも、人の感情・衝動・思い出をテーマにしていたが、人の内なる感情について哲学的に考察できるのも、本作の特徴ではないか。
* イキウメ『図書館的人生Vol.4 襲ってくるもの』(2018)
欲望と理性の狭間で、今を生きる
瞬きさせない強烈な多幸感を与える(得体の知れない)「柱」に対し、人類はなぜこのような事が起こっているのか、答えを求めようとする。2001年の旧人類は、科学的にアプローチし、降雨と同様の自然現象だと述べる。一方2051年の新人類は、信仰宗教のように「御柱様」と崇める。
人々が目の前で起こる現象にさまざまな解釈を試みる中、農家の輝夫は、ただひたすら各地に人の住む環境をつくり続ける。生き延びるために、理性的に前に進もうとする。
思うに「柱」は、人の欲望のメタファであったのではないか。
生きる限り、人には必ず欲望が付きまとう。「大切にしなければならないのは、ただ生きるということではなくて、よく生きるということなのだ」とソクラテスは説くが、欲望に振り回されないようにするためには理性が必要なのだ。
輝夫は、柱という欲望と隣り合わせの状態で、ギリギリの状態で、欲望に背を向け、理性的に生きようとした。
欲望と理性。ふたつの矛盾した感情に揺り動かされながら生きる人類の物語は、SFでありながら、ともすれば我々の日常にも帰する、哲学的な示唆に富んだ物語であった。
引用元|イキウメ公式HP
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?