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【短編小説】不老不死の「私」と不思議な力を持つ親友の話

『春夏秋冬の庭』


 『死にたい』と思うのは、脳の誤作動であるらしい。
 何年か前、ふと思い立って自殺方法をインターネットで調べているうち、そんな記事を見かけた。それは鬱病云々に関する内容だったのだが、そこにあったのが、誤作動という文言である。とはいえ、所詮はインターネット上で見かけた情報だ。真偽のほどは不明である。
 だが仮に、この論が正しいとして。
 私の場合、脳の前に身体が誤作動を起こしていることは間違いない。
 身体の誤作動。
 それは、噛み砕いて言ってしまえば、不老不死であるということだ。
 読んで字の如く、老いないし、死なない。
 死に直結することは思いつく限り全て試してみたが、失敗に終わった。
 だから、私にとってこの身体は『死なない』というよりかは『死ねない』という認識のほうが強い。手に入らないが故に、死を渇望するようになったのは、ある意味では自然の流れと言えよう。毎日が『今日も死ねなかった』の繰り返しだ。
 この体質を説明すると、まず十中八九羨ましがられるが、なにもこれは、私が願って手に入れたものではない。
 あれは江戸時代の終わり頃だったか、明治の始めだったか、大正に入ってからだったか――既に記憶は定かではないが、それくらい昔の話になる。そうは言ってもよくある話で、私は当時、流行病に罹ってしまった。満足な治療も受けられず、床に臥せ、意識も朦朧とする中で死を待つだけの日々。
 それがある日、急に意識がはっきりとした。
 難なく起き上がれるし、歩き回れる。なんだったら即座に走り出せそうなほど、私の身体は活力に満ちていた。
 理由はわからない。
 私が臥せっている間に、親族が人魚の肉を食わせただの、禁術に手を出しただの、どこかの高名な、或いは悪名高いカミサマに願っただの――諸説あるが、明確な答えはない。私が回復したときは涙して喜んでいた家族は、しかし頑なに口を噤み、とうとう彼らが存命の間に正解を聞くことは叶わなかったのだ。
 とはいえ、病を期に、私が人の理から外れたことに違いはない。
 老いない私は気味悪がられ、あっという間に社会から疎外され、遂には除外された。どれだけ誤魔化して社会に紛れ込もうと、限界が来る。長い間、同じ場所には居られなくなってしまい、全国を放浪する日々が続いていた。
 だから今でも、ひとつの土地に留まって生活ができるようになった現状を、夢ではないかと疑ってしまう。
 透目町すきめちょう
 今、私はこの町で、かれこれ七十年以上、なんの問題もなく暮らしている。
 ここは、なんでも起こるしなんにも起きない、穏やかな空気の流れる田舎町だ。私のような不老不死の人間が一人紛れていようと、稀によくある奇妙な事象として、いとも簡単に日常に溶けていく。嘘みたいな話だが、私のような人間にとっては、なんとも有り難い限りだ。
 緩やかに続く穏やかな日々。
 それでも、『死にたい』と思わない日はない。
 いつか死ねる日を夢見て、私は今日も生活を営んでいる。

 
 それを聞いたのは、八月二十日の夕方過ぎだった。
 じりじりと地面を焼いた太陽が沈み、一斉に鳴き出したヒグラシの声を背後に、私は電話口で大切な友人の訃報を聞かされた。
 電話をくれたのは、彼の妻だった。彼女は既に覚悟ができていたのか、葬儀の日程を伝える口調は、存外に落ち着いていたように思う。反面、私の動揺っぷりたるや、きっと彼女は電話口でも察したに違いない。それでも、彼女はそれに言及することなく通話を終えてくれたのは、一重に優しさなのだろう。だが、それで気持ちが和らぐことはなく、受話器を置いてしばらく経っても、私の心臓は気味が悪いほど脈打っていた。
 なにも、誰かの死に立ち会うのは初めてではない。
 むしろ、この長い人生の中で、気が狂ってもおかしくない程度には他人の死に立ち会ってきているほうだろう。
 であれば、どうしてこれだけ気が動転しているのかというと、それは至極単純な話で。彼は、それだけ私の人生に深く関わっていたからに違いない。


 彼との出会いは、戦争の真っ只中だった。
 当時、戸籍を持っていなかった私は、当然徴兵もされていなかった。その頃の私といえば、人目を避けて暮らす生活がすっかり板につき、山の中でひっそりと暮らしており、戦争はどこか他人事のようにさえ思っていたほどである。
 しかし、人の目というのはどこにでもあるものだ。
 山で生活する若い男が居るという情報はあっという間に広がり、ある日、私の暮らす小屋に男たちがやって来たかと思うと、問答無用で連行され、気がつけば戦場に立たされていた。
 物資も人員も枯渇し、日毎に周囲の人間が衰弱していく。そんな中で召集当初のままの状態を保った私は、初めこそ盗みを疑われ暴力を振るわれたこともあった。しかし、どれだけ痛めつけても翌日には怪我ひとつ残っていなかったり、わざと食事を与えなくとも顔色ひとつ変わらなかったりしているうちに、徐々に気味悪がられて、私は戦地でも孤立するに至ったのである。
 そんな折、夜な夜な私に声をかけてきたのが彼――友渕ともぶちという名の男だった。
「お前――ええと、永山ながやま、だっけ? お前さ、戦争が終わっても帰る場所がないんだって? それならさ、俺の故郷へ一緒に来ないか?」
 その日も夕飯抜きにされ、手持ち無沙汰だった私は、外でぼんやりと空を眺めていた。
 そんな折、背後から急に話しかけられたかと思えば、突拍子もない提案をされ、私は怪訝そうに見つめ返すことしかできなかった。しかし友渕は、私のそんな態度など気にせず、にっこりと笑みを深めて、勝手に話を進める。
「みんなはお前のことを気味悪がってるけど、俺の地元さ、永山みたいな人が結構居るんだよな。だから妙に親近感が湧くっつうか、地元を思い出して落ち着くっつうか」
「なにを、出鱈目を……」
 私がここに配属されてから観察している限り、友渕は特段目立った功績もなければ、失敗もない、至極平均的な一兵卒だった。人間関係においても、ひとつも問題は起こしていなかったと思う。だが、それが全てこの男の計算のうちで、私はなにか面倒なことに巻き込まれようとしているのではないか。
 たとえば、見世物小屋にでも売り払おうとしている、とか。
 そういう人間は、過去に何人も会ってきた。
 しかし友渕はといえば、あからさまに警戒し始めた私の様子を察すると、わたわたと手を大きく振り、
「出鱈目なんかじゃない。実はさ、俺にもあるんだよ、不思議な力が」
などと言う。
「これを見てくれ」
 そうして友渕は、地面に右手を置いた。その手のひらの下には、僅かに雑草が生えているだけの、なんの変哲もない地面があるばかりだ。
 しかし友渕は、見てろ、と得意げな声を上げる。
 と。
 次の瞬間、雑草たちが急激に成長を始めたではないか。
 数センチしかない枯れかけだった雑草は、友渕の右手が上がるのに合わせて、ぐんぐんと、生き生きと成長していく。
「調子が良いと花も咲かせられるんだが、流石に今はそこまでできないか。どうだ永山、すごいだろ?」
 すごいかすごくないかで言えば、すごいに尽きる。
 本当に種も仕掛けもないのか。私以外にもこういった特殊な能力を持つ人間が存在したのか。今まで人目を避けていたから気づけなかっただけなのか、或いは居たとして、私も他の人と同様に目を逸らし、『居ないもの』としていたのか。さきほど、彼の地元にはこういった人が結構居ると言っていた。それが本当であれば、さぞ居心地の良い場所なのだろう。いや、やはりこれは手品の類で、この男は私を騙そうとしているのではないか。
 かつてないほど急速に思考を巡らせ黙りこくる私に、友渕は言う。
「物心がつく頃には、もうこの力があったんだ。どういう因果があって俺にこの力が備わっているのか、ずっと考えてたんだけどさ。もしかしたら、お前を町に招く為にあったのかもしれないな」
「……そういうクサい台詞は、意中の女にでも言ってやれよ」
 状況整理の追いつかない頭で、私は辛うじてそんな軽口を吐いた。
 すると友渕は、あっけらかんとした様子で、
「意中の女には、これよりとびきり良い言葉と景色を贈ったさ。もう結婚もしてる」
と言う。
「ただ、子どもがなかなかできなくてなあ。あいつは今、町に一人で俺の帰りを待ってるんだ。絶対に生きて帰るつもりでいたが、永山を町に連れていきたいし、こりゃあもうカミサマが俺に死ぬなと言ってるようなものだろう」
「……人は、すぐに死ぬだろ。カミサマだって――」
 そんな無責任なもの、居てたまるか。
 そう言いかけて、さすがに私は口を噤んだ。
 人の生死については勿論のこと、他人が信じるものまで安易に否定して良い権利など、私にはない。誰にもない。
「それがさあ、居るんだよカミサマ」
 しかし友渕は、一切気を悪くした雰囲気も見せず、そんなことを言う。
「俺がこの目で見たわけじゃあないんだけどさ。近所に、怪我の治りが異様に早い婆さんがいるんだけど、理由を訊いてみりゃあ、子どもの頃にカミサマに好かれて、そういう体質になったって言うんだ」
「……」
「婆さんが言うには『カミサマからは、うんと長生きして見聞を広げろと言われた。どれだけ気味悪がられようと、この体質のおかげで私は今日まで生きてこられて、それが巡り巡って、いろんな人の助けにもなってる。だから誰がなんと言おうと、これは呪いなんかじゃなく祝福なのさ』だって」
「……」
 なあ、永山。
 友渕が私を呼ぶ。しかし私は返事ができない。けれど彼は構わず続ける。
「永山のそれも、誰かに願われて後天的に得た特性なんじゃないか?」
 不老不死の身体に嫌気が差してすっかり忘れていたが、それは確かに、彼の言う通りだった。死の淵に立った私を呼び戻さんと、家族が必死になってくれた結果なのだ。こんなことになってしまうのは考えの外だったのかもしれないが、原初の願いは『生きてほしい』という、ただそれだけだったはずだ。
 彼の知り合いの老婆が、それをカミサマから受けた呪いではなく祝福と呼ぶのであれば。私のこれは、何者かに家族の切なる願いが聞き入れられたが故の恩恵と考えても良いのかもしれない。悪意がなければなにをしても良いというわけではないが、少なくとも、私の家族は、害意を持って私の身体をこんなふうにするつもりはなかったはずだ。
 きっと。いや、絶対に。
「……その婆さん、今はどうしてるんだ?」
 なんだか憑き物が落ちたような、すっきりとした気分で、私は彼に問いかけた。
「結構な歳だけど、元気にしてるぜ。俺の出征前には、お守りも持たせてくれたんだ」
 ほら、と言いながら、友渕は懐からお守りを取り出して見せた。
 丁寧に作られたと一目でわかるそれは、しかし日々の戦闘行為に揉まれ、汗と泥で汚れていた。しかし、カミサマに好かれた女性によって作られたお守りというのは、それだけで強力な加護があるように思える。
「……お前の故郷、なんていうところなんだ?」
 少しの逡巡の末、私は決意した。
 普通に考えれば、怪しいに決まっている。友渕が見せた不思議な力とやらが本物とも言い切れないのだ。だが、直感が私の背中を押した。この男に着いていってみよう、と。その直感の正体が、長生きであるが故のものなのか、私の家族の想いによるものなのかは、わからないけれど。それを肯定しても良いと、そう思った。
 友渕は、私のその問いかけが、ほとんど誘いへの同意であることを汲み取ると、目を輝かせた。
「透目町。透目町って言うんだ」
「すきめちょう……。うん、覚えておく」
 そんなふうに言葉を交わした直後、賑やかな声が外に漏れてきた。どうやら食事の時間が終わり、人々がぞろぞろと移動を始めたようだ。
 友渕はきっと上手いこと人の目を盗んでここへやって来たのだろうが、ここらが限度だろう。
「さっさと戻ったほうが良いぞ」
 追い払うように手を払った私に、友渕は首を傾げ、
「永山はどうするんだ?」
と訊いてきた。
「僕はもうしばらくここに居る。点呼の時間までには戻るさ」
 如何せん、私は既にこの集団から嫌われ過ぎている。別段、私はどれだけ暴力が振るわれ、食事を抜かれたところで、死にはしない。だが、友渕は違う。彼が死んでしまっては元も子もないのだ。
「……わかったよ」
 言いたいことを無理矢理いくつも飲み込んだような苦い顔を浮かべて、友渕は頷いた。
 立ち上がり、隙を見て集団に合流しようとする友渕の背に、私は、
「そういえば、さっきの質問だけど」
と、独り言のように言う。
「君の睨んだ通り、僕は後天的な不老不死だ。この目で侍を見たことがあるくらいには年寄りだな」
 そこでちょうど、合流できる隙を見つけたのか、友渕はじりじりと一歩を踏み出した。そうして振り向きざまに、にいっと歯を見せ、それはそれは嬉しそうに笑って見せた。
 

 この日の夜の会話を期に、友渕とはよく話をするようになった。
 私のような人が当たり前に存在しているという透目町。それについての話題が多かったのは、言うまでもないだろう。
 背中に翼が生えている郵便屋の話、共に前世の記憶を持って生まれた双子の話、犬と会話ができる小学生の話、他人の怪我を癒やす力を持つ数学教諭の話、役場で働く幽霊の話。そのどれもが現実味を伴っていて、これらが全て作り話であるとは、到底思えなかった。
 友渕と親交を深めていくのと同時に、戦争は苛烈を極めていった。
 友渕が死ななかったのは、ほとんど紙一重の幸運でしかなかった。或いは、例のカミサマから好かれた老婆が持たせてくれたというお守りが、遺憾なく効力を発揮したのかもしれない。
 そうして二人揃って透目町に足を踏み入れたのが、かれこれ七十数年前の話だったというわけだ。


 夕暮れどき、私は礼服に袖を通して友渕の葬儀へと向かった。
 受付には彼の親戚と思われる中年の男女が立っており、芳名帳に名前を書いている最中から、あからさまに刺すような視線を感じたが、それはいつものように無視した。御年九十歳の老人の葬式に、親戚でもない二十代半ばか三十代過ぎほどの男が来るのは、さぞ不審なのだろう。彼の仕事は庭師で、それも二十年ほど前に引退しているから、仕事関係とも考えにくい。一体あの人は何者なのだ、という疑念が視線となって背中に刺さる。こうなることがわかっているから、葬式は嫌いなのだ。だが、今日ばかりは行かないわけにはいかない。友渕は、私の恩人であり、親友なのだから。
 葬儀中、私は僧侶の上げるお経を聞きながら、静かに滝のような涙を流した。この七十数年間積み上げてきた彼との時間が、代わる代わる思い出され、涙をせき止めることなど不可能だった。
 長いこと生きていると、どの宗派のどのお経にはどういう意味があって……なんて知識もついてしまうが、このとき、それらは一切脳裏を過ることはなかった。私は改めて、葬式とは故人の名前で行われるが、その実、遺された生者の為の行為だな、などとどこか冷静になった頭で考えていた。
 友渕は老衰だった。
 最後の最後で風邪をこじらせ入院し、病室で家族に囲まれて息を引き取ったという。
 どうか、安らかな眠りでありますように。
 私は未知の死に対し、そうであることを祈りながら彼の棺に花を供えた。


 友渕の葬儀から一ヶ月が経った頃、彼の妻から電話があった。
 急な話で悪いが、明日、家に来てくれないか。そんな用件だった。
 電話口ではできない話なのかと思いつつ、特に他の用事もなかった私は彼女からの願いを了承した。
「この家を貰ってくれないかしら」
 翌日、友渕の家を訪ね、仏壇に線香を上げてから、居間に通されたあと。
 友渕の妻は、開口一番にそう言った。
 突然の提案に私が言葉を詰まらせているうち、彼女は続けて言う。
「前々から喜之介きのすけさんと話し合っていたの。私たちのどちらかが先立って一人になったら、永山さんにこの家をあげようって。永山さん、ずっと借家に住んでいるでしょう? あの人、『もう長いことこの町に住んでるんだから、あいつもいい加減、自分の家を持っても良いだろうに』って、ずっと言ってたんです」
「家を持てとは、確かに、本人からも直接言われた覚えがある」
 お前が自分の家を持つなら、庭造りは俺に任せてくれ。
 そう言われたのも、昨日のことのように覚えている。七十年もこの町で暮らしておきながら、どうしても家を買いその土地に根を下ろす行為には忌避感を覚え、結局、家も庭も作らず仕舞いになってしまっていた。
 しかし、友渕夫妻が家を私に明け渡したいと話し合っていたとは、初耳だった。
「九十歳近いお婆さんが田舎町で一人暮らしっていうのは、やっぱり息子夫婦も心配みたいでね。これを期に、私は隣の市に住んでいる息子夫婦の家に行こうと思うの」
「……ここが空き家になったら、この庭も、荒廃していくのか」
 居間から覗く立派な庭を眺めながら呟いた私の言葉に、友渕の妻は、小さな笑い声を漏らした。今の話のどこに笑いどころがあったのだろうかと、疑問符を浮かべる私に、友渕の妻は、やっぱりね、と言う。
「永山さんなら、そう言うと思ったわ。貴方も、あの人が咲かせる草花や、あの人が作る庭が好きだったから」
 見透かされていたようで、私は思わず視線を彼女から逸らした。
 友渕の妻は、構わず続ける。そういうところは、すっかり彼に似たようだ。
「貴方がこの家を貰い受けてくれるなら、好きに改装してくれて構わないわ。ほら、永山さんは知識も豊富だし、手先も器用だから、なにか習いごとの教室にしても良いし、お店をやっても良いかもしれない」
 それは暗に、家はいくら弄っても構わないから、庭だけは維持して欲しいと言っているようにも聞こえた。私の考え過ぎかもしれないが、しかし、この庭はこのまま在るべきというのは、私も賛成である。なにより、一年を通して様々な花が咲くよう作られているこの庭を、私が独り占めしてしまうわけにはいかないように思った。幸い、友渕から直々に庭の手入れの方法は叩き込まれている。維持するだけなら、私一人でも問題はないだろう。
 そこまで考えてから、ふと、いつかの日に彼から言われた言葉を思い出す。

 ――どういう因果があって俺にこの力が備わっているのか、ずっと考えてたんだけどさ。もしかしたら、お前を町に招く為にあったのかもしれないな。

 友渕の力が、私をこの町へと招く為のものだったとしたら。
 私のこの不老不死の身体にも、なにか役割があるのかもしれない。それが彼の庭を維持する為なのか、それ以外の為なのかはわからないけれど。
 もしもそういったものがあるのなら、ずっと死にたいだけの日々にも、僅かに光が差す想いがした。
「交渉成立、かしらね」
 微笑む彼女に、私は居住まいを正して向き直り、言う。
「ありがとう。必ず、訪れる人の記憶に残るような場所にする」
 夏の終わりを告げるような、肌寒さを纏った風が吹く。
 庭に咲くセンニチコウやリンドウが、気持ちよさそうに揺れていた。



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