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女性活用の名のもとに管理職登用されることに抵抗感がある、という一見マトモに見えて筋違いな罪悪感について

先日、質問箱にお悩み投稿をいただきました。そしてちょうどこの「女性登用の名のもとに下駄をはかされることについての罪悪感」テーマで女5人でやんややんやディスカッションした直後だったこともあり、この感覚が「まるで正論のように」浸透していることに対して思うことがあったので、書いてみます。

対象の質問はこちら。ちなみに大変真面目で、きちんとしている印象を受けます。彼女や彼女が感じるモヤモヤ感について断罪したいわけではないのであしからず。

問題にしているのは「女性推進=下駄」と思わされる構造と、一見正論であるような「女性推進における女性優遇措置的なものの対象になりたくない」という感覚が、実は大変に歪であるという点です。

女性推進で初の管理職候補だが…モヤモヤする

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これはですね、先日も話したのですが「女性だからだろうがなんだろうが、チャンスは掴むべき。実績は死ぬ気で残せ。成果で見返せ。」でしかないのですよ。

で、この「女性だから下駄」はある種潔癖な、まっとうな感性なのですが、落ち着いてもう一度考えてみましょう。「男だから」で優秀な女性を排除して上に上がっている男性も、今の男性中心社会では構造的に十分にあるわけです。女医問題は露骨ですが、「男と女なら優秀なのが女でも男を上げる」的な昇進フローなんて腐るほどあります。

無視していいというか、マクロに見ると今そこに罪悪感を抱えたり、それを元に昇進を蹴ったりをしたなくていいってことです。
(原文ママ)

下駄だろうがポジションを取る大儀はある

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