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中学時代の部活。ちょっと苦いバスケ部の思い出の話。

こんばんは。ぱんなこったです。お題企画に初めて投稿してみようと思います。

私の部活の思い出、それは中学時代のバスケ部での日々です。楽しい青春というよりは、辛い日々を耐え抜いたような思い出です。私の中で少しでもこの日々を昇華させたくて書こうと思いました。

中学校に入学して間もなく、私はバスケ部に入りました。当時のコーチは学校外部からこられている方でしたが、とても温厚で怒ることはなく生徒にバスケを楽しんでほしいという指導方針の方でした。そのため私たちは毎日楽しく放課後の部活をやることができていました。決して強いチームではなかったのですが、大好きなバスケをのびのびとできて私は幸せでした。

入部してから半年ほど経ったある日、他校と練習試合をしました。その日の私たちはすこぶる調子が悪く、普段しないようなミスプレーばかりでチーム全体が落ちていました。いつもならそんな場面でコーチは「大丈夫、落ち着いてやっていこう」と励ましてくれていました。しかし、その日は私たちのあまりの出来なさ加減に嫌気がさしたのか「もうお前たちに優しさするの飽きた」と突然言い放ったのです。そのセリフを聞いた時、わたしはコーチに対して不信感でいっぱいになりました。飽きたってどういうこと…?今までの優しさは偽りだったということ…?

そしてその日を境にコーチは怒るようになりました。

今まで楽しくのびのび部活ができていたはずなのに、怒られることに怯えながらバスケをするようになりました。感情のままに怒られることは本当に苦痛でした。具体的なプレーの改善点を教えてくれるのではなく、ダメなところばかり言われ続けました。特に試合ではどうしても感情が昂ってしまうため、特に気が重かったです。

そして先輩が引退して部長になってからは、私はひたすら怒られ続けました。

コーチか部長に求めるものは大きかったんだと思います。しかし、少しのミスでも怒号が飛ぶような環境だったので私は萎縮しながら部活に参加しました。その中でも私は自分に言い聞かせていました。コーチが怒るのは私たちに期待してるからだ、私たちがもっと上手くなれると信じているからだ。だから逃げちゃいけない、と。

引退も間近になってきたある日の試合、私は最初で最後の活躍をしました。今思い返しても不思議ですが、あの日は私の中で何かが覚醒したようなプレーをしました。試合が終わり、コーチがチームの前でその日の総括を言いました。「今日の部長は最高だった。今までの部長は正直試合のたびに情けなくて信用できなかった」と…。

ああ、私は信用すらされてなかったんだなぁと思いました。今までの怒号も何もかも信頼のもとですらなかったのだなぁと。確かに私は部長としての役割は果たせてなかったし、情けないプレーばかりだった。それでも毎日まじめに練習してきたし私なりにチームをまとめて引っ張ろうとしていた。その姿勢をコーチは見てくれているとどこかで信じていました。でもその時、その思いも砕かれたような気持ちになりました。

そして引退するときにわたしは心の中で「もう二度とバスケはしない」と決めました。

あれから10年以上が経ちました。しかし、あの日々は私の中でまだ過去になりきれてないところがあります。この思い出に対する総括を今の私はまだ書けません。あの日の自分にかけれるような言葉も見つかりません。

ただ、今もバスケは好きです。それだけが救いだなと思っています。もう二度とバスケはしないと決めて以来、バスケはしていません。でも、時々ふとバスケがやりたくなります。それだけでも、私に残った財産だと思っています。

自分の中でこの日々が完全に昇華される日が来たら、その時の私は何を思うんだろう…。

長い昔話になってしまいました。最後まで読んでくださったみなさま、本当にありがとうございました。

ぱんなこった☺︎

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