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飄々としていた高2の担任

こんにちは、ぱんなこったです。
「応募する」から書きたいテーマ見つけたので書いてみます。

私には忘れられない先生がいます。高校2年生の時の担任です。

男性の方で、当時50代半ばでした。今はもう定年退職されてるのかな。数学の先生でした。飄々としてるというか、焦ることはないし、のんびり構え過ぎてるんじゃないかと思うくらい、とても呑気な人に見えました。よくダジャレを言って、教室を苦笑いさせていました。笑

呑気過ぎて頼りないなとは思っていましたが、悪い人には見えなかったので担任になっても不満はありませんでした。他の生徒もだんだんと担任に対して信頼を置くようになり、急かすことがない担任のもとでのびのびと過ごしていたように思います。

通っていた高校は地元では進学校だったので、私は勉強に明け暮れていました。でも中学からバーンアウトを引きずっていた私は、高校2年の修学旅行が終わると「もうこの先は受験しか待っていない」となんだか絶望するようになりました。その時ちょうど成績も伸び悩んでいて、こんなに勉強頑張ってるのになんで偏差値あがらないんだと苛立っていました。

ある日、学校に行きたくなくなり、休むようになりました。

休んだり、途中から出席したり、どんどんそんな感じになりました。当然授業は遅れるし余計にわからなくなるし、ますます学校行きたくなくなっていました。

ある日担任はそんな私に「放課後いつでも職員室おいで、数学教えるよ」とだけ言ってくれました。その日以降、わたしはよく放課後に職員室に教えてもらいに行くようになりました。
わたしのようにバーンアウト状態になっている生徒はクラスの中に何人かいて、その子たちと一緒に放課後訪ねることもしばしばでした。担任はいつもどおり飄々と、数学を教えてくれました。

担任はときどき数学を教えるだけでなく、何かお話ししてくれました。あそこにある美術館が面白いぞとか、あの地区は街並みが綺麗だぞとか、知らないことをたくさん教えてくれました。私がいま何がしんどいかも聞いてくれたり、その度に飄々と応えてくれました。私としては、数学のついでに聞いてくれることがかえって気楽にいられてノンストレスでした。そこからすぐにメンタルが回復することはなかったけど、担任のおかげで学校にも頼れる場所ができました。

しかし三年生になる時、担任が異動になってしまいました。

あと1年、ここにいてほしかった。

離任式の日、最後のホームルームをしました。クラスの生徒みんなが担任のことが大好きでした。その日の担任もいつも通り飄々としていましたが、話をするにつれて少しずつ熱いものが込み上げていました。

担任が教職についた最初の学校は定時制だったそうです。過酷な現場で毎日辛かったと。ある日仕事に行きたくないなぁと思っていたら奥様に「じゃあ行かなきゃいいじゃん」と言われたそうです。本人はそれで気が楽になったと言います。そうか行きたくなかったら行かなくてもいいのかと。そう思えると、また仕事に行くようになりました。
「初任で定時制に来た教師の多くは、早くここから離れたいと願い、2〜3年でみんな去っていく。お前も所詮そうなんだろ」とある生徒に言われたそうです。「わかった!ならずっとここにいてやるよ」と担任は宣言し、その学校が廃校になるまでの20年間、そこに勤めていたそうです。
「この世界には、日の当たる世界と当たらない世界があるんだよ」と担任は言いました。

飄々としていた担任からこんな話が出てくるとは思わず、とても衝撃でした。担任の優しさはただ飄々さからくる呑気なものではなく、辛抱や努力から裏付けされたものだったのだと思いました。話しながら、担任は泣いていました。話を聞きながら、私も思わず泣いてしまいました。泣いた生徒は私だけではありませんでした。

最後に担任は、クラスの生徒ひとりひとりと握手をしました。とても柔らかい、全てを包み込んでくれるような優しい握手でした。

私はホームルームのあと、放課後よく一緒に訪ねていた友人と職員室に行きました。どうしても、この1年お世話になったお礼が言いたくて。

ひとりではないからね、離れていてもひとりではないからねと言ってくれました。本当はやってはいけないことだけど、あなたたちが来年も同じクラスになれるようにお願いしたから安心してねとも言ってくれました。
担任のクラスには何人もバーンアウトしている生徒がいました。それでも担任は焦る様子も全く見せず、いつだっていつもどおりでした。今思えば、きっといろいろ言われることもあったと思います。進学校でしたから。それでも担任は私たちを守ってくれました。
本当なら卒業まで力になりたかったけど、でも味方なのは変わらないからねと言ってくれました。

別れ際、担任は再び握手をしてくれました。先程とは違い、とても力強く、たくましい握手でした。

帰り道、友人と涙が止まりませんでした。あと1年、受験本番というときに担任なしで挑まなければならないのかと。でも一緒に乗り越えようと話しました。ひとりではないのだから。
 
1年後、私と友人はそれぞれ志望校に合格しました。


握手をした日が最後にあった日です。もうあれから10年経ちました。元気にしてるのかな。

未だにくすぶってる人生ですが、わたしはなんとか元気にしてますよ、先生。


ぱんなこった

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