ネットを見てて思うモヤモヤ
SNSのインフルエンサーを見て、ときどき「なんだかなぁ」とモヤモヤする。
彼らの商売はとても成功しているし、支持者も多い。きっと何かのニーズを満たしてるのだろうなぁとは推測できる。
でも、見ていて気持ちのいいものではない気がする。
なんだろう、
どうして彼らは「人のネガティブな感情」を揺さぶって商売するのだろう。
仕事やビジネスって、端的に言ってしまえばお金を稼ぐことだけど、お金をもらう交換条件として「わたしはあなたのためにこんなことをします」っていうことだと思っている。
インフルエンサーの中には、人々から見て生活のヒントになることや、一瞬でも心に潤いを与えてくれて、今日も頑張れそうだなって思わせてくれる。そういうインフルエンサーだってたくさんいる。
でもその中に、
こう語ったら人々の怒りや疑問の感情に刺さりそうだな、そしたら話題性十分で名を売れるな、あいつの名前も一緒に使わせてもらおう、そしたらもっと人々が話題にしてくれる
ってインフルエンサーもいる。
見てて非常に不愉快だ。
自分は何も間違ってることは言ってないですよ、実際こういう問題ってありますよね、それなのに私たちは見ぬふりしてるんですよ、そこに私は一石を投じてるわけですよ、みなさんどう思います?
これに何の意味がある。
自分の売名のために、苦しんでる人がいる事象を金儲けの手段に使っているばかりか、そもそもその問題の有無さえわからないことを「この問題について考えないなんてあり得ないよ」と急き立てるように訴えてくる。
視聴者の良心の弱さを利用してるように思える。
問題の是非や詳細もわからぬ部外者なのに、世間の怒りを買えそうなことをうまく利用しているインフルエンサーがありふれている。
それだけじゃない。
SNSの普及で、事の真相は当事者しかわからないのをいいことに「被害者」と名乗って注目を集める人も出てきている気がする。
本当にその人が被害者である場合、そうしてSNSを駆使して世論を巻き込まないと、相手を相手取れないようなこともあるだろう。そうでないとこっちが力でねじ伏せられてしまうから。
でも、その被害者が、もっと話題性を高めようもっと自分の被害者という認識を広めようという目論見で、関係のない第三者の名前を使ったりすることも、あると思う。
クローズな問題が故、その名前を挙げられた第三者が本当に無関係なのか果たして関係あるのか、こっちからしたらマジでわからん。
だから、悪用されやすい。一度出てしまった名前が世間に広まれば、それはもうデジタルタトゥーにでもなんでもなってしまって、事実かどうか関係なく残ってしまう。
本当に被害者として苦しんでる人の手段を潰すようなことを、こいつらは平気で横行させている。
そんなことばかりネット上に溢れている。
便利な時代だ。
インターネットの普及、価値観の多様化、誰もが受信だけでなく発信できる時代。
でも、その代償も大きい気がする。
多様性とはどういうことなのか、発信したいと思えばなんでも発信していいのか。
リテラシーが追いつかぬまま、時代だけ進んでいるように思えてならない。
そういう私も、こうして匿名で自分が言いたいことをこうして殴り書きしているようなものだから、お互い様かもしれないが。
でもおかしいと思う。
自分の利益や名誉のためだけに、人々の負の感情を利用する人を、私は許せない。
そういうビジネスが成り立っていいとも思わない。
そんなことで稼いだお金を、偉い顔して使えるような人間に、私はなりたくない。
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