市谷 聡啓 (papanda)
さよなら、プロジェクトマネージャー。
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さよなら、プロジェクトマネージャー。

市谷 聡啓 (papanda)

 先日、また一年歳を取った。気がついてみればソフトウェア開発という世界に身をおいて、ずいぶんと歳月を重ねてきた。実に20年近い。この20年だけ取ってみても、様々な変遷を経て様変わりしたところと、大して変わらないところとがある。後者の一つが「チーム開発の難しさ」だと感じている。使う技術も、支える環境も、プロセスも勿論変わっているが、チーム開発が楽勝になったためしは未だ無い。変わらない難しさがずっとある。

 思うに、人が他者との間でミッションを特定し、前提を把握し、お互いの強みと弱みを理解しあい、少しずつアウトプットを重ね、その過程で起きる不具合を適宜ふりかえりによって解消しながら、感情にも向き合いながら漸次的に物事を進め、成果を上げる...という行為がそもそもとてつもなく高度であって、上手くいかなくなる箇所がいくらでもありえる。

 そうした人と人の相互作用を如何に上手く噛み合わせて、活動がなめらかになるように仕向けていくか。適当にやっていても到達しえない。誰かが、あるいはチーム全員で、意図的に働きかける必要がある。チームビルディングであったり、設計についての共通理解を深めるためのセッションだったり、プロジェクトの状況を把握したり同期するための場作りだったり。チーム開発が「上手くいかなくなる箇所」の分だけ働きかけが必要になる。私は、この人と人の相互作用をなめらかに仕立てていく機能が「マネジメント」だと考えている。

 この意味でマネジメントという機能はチーム開発において必要なものには変わりない。これもまた20年経っても変わらないところである。ところが、この20年の間でマネジメントを担う「プロジェクトマネージャー」という役割の見方は大きく変わっていった。プロマネは、単なる伝言役で役に立たないどころか害になりやすいという見方を得てしまった(あくまで私の肌感として)。2003年ごろのデブサミではプロマネは花形のような扱いだった。今、プロマネをやりたいと目を輝かせる人がどれほどいるのだろうか。

 確かに、プロジェクトマネージャー=組織上の職位という位置づけがされることも少なくなく、役割名称に対して中身が全く伴わない時代、局面があったのも事実だと思う。プロジェクトマネージャーという「役割」はなくしてしまって良いかもしれない。だが、(プロジェクト)マネジメントという機能自体が不要になったわけでも、それを不要にできるほどチーム開発上の戦術が熟達したわけでもない。結果、マネジメント機能がチームの活動から薄れる、欠落することで苦境に逐われてしまっている現場も数多くあるのではないか。

 個人としてではなく、「チーム」でマネジメント機能を担うのは理想的と言える。ぜひそうした方向性へ向かいたい。ただ、そこに至るためにはチームの成長にあわせた段階が必要になる。そうした段階を全く無視して、ただ「マネジメントなんて無くせ」と倒すのは乱暴としか言いようがない。勢いで乗り越えられるほど、人と人の相互作用は簡単なものではない。


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市谷 聡啓 (papanda)
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