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数字を突き詰めようとするほどに、「ユーザー」「チーム」「プロダクト」を見失ってしまう

 プロダクトマネージャーやプロダクトオーナーが、「プロダクトがどうあるべきか」に考える焦点をあてることは勿論のことだ。ここに最も自分の時間を使っていて、然るべきだ。

 ただ、プロダクト作りの初期の段階を経て、焦点のあて先、時間の使い方は状況とともに動いていくことになる。「焦点のあて先を動的に変えていく」、ここが出来ているかどうかが大事。どうしても、人はひとたび焦点を置くと、そこから目が離せなくなってしまう。その結果、判断とふるまいが「今ココ」の実状とフィットせず、上手い状態にはならなくなる。

 例えば、「プロダクトがどうあるべきか」を突き詰めていくと、ビジネスの結果に焦点があたっていきやすい。日々のプロダクト、事業運営として、ビジネス面での結果を得ていくために何が必要か、に思考時間を費やしていくことになる。気がつければ、KPIのことで頭がいっぱいという状態だ。

 「日々の運営における最適化」という観点ではそうあるのはもっともだが、「頭の中が数字しかない」という状態に達してしまうのはいただけない。開発についての評価基準、チームとしての優先事項などあらゆる観点を「数字」に最適化してしまうと、致命的に「失われる面」がいくつも出てくる。
 目に入っているのに、見えていない。見えなくなりやすいのは、ユーザーと、チーム、それからプロダクト自体だ。

失われる 「ユーザー」

 まず最初に挙げるのは「ユーザー」。数字の上げ下げに着目すると、「ユーザー」も変数の一つになってしまう。つまり、「ユーザーとは」の理解がある一定で止まってしまい、「ユーザーとはこう考えて、こう動くものだ」といった具合で「前提」(定数)になってしまう。
 ユーザーが何を求めていて、それにどう答えていくと良いのか、その変遷を検知する力が弱くなっていく。やがて、肝心の「ユーザー」が不在の事業運営が「普通」になってしまう。そうなると「ユーザー」のことを思い出すことさえ難しくなる(「ユーザーを捉えなおそう」という機運が現れない)。

失われる 「チーム」

 「チーム」もまた、「数字」の前では「背景」になってしまう対象だ。チームとして十分に機能しているか、チームとして向上感があるか、こうした観点は、日々の数字を追う仕事の中で埋没していってしまう。「数字」の状態の前では、「言ってられない」「聞いてられない」、チームへのケアは後回しになる。
 結局人の手で結果を作り出している以上は、「チーム」の状態を置き去りにして、結果を出す、あるいは維持する、ということができるはずもない。やがて、「チーム」の間から感情は薄まっていき、疲弊感が高まることになる。もちろん、人はそんな「チーム」から離れていく

失われる 「プロダクト」

 数字の前には、「プロダクト」の中身自体も、考える優先度が落ちていく。ユーザーに価値を届けるための媒介たるプロダクトが、ヘルシーな状態を作れているか、見向きもされなくなる。
 価値の媒介を務めるためには、「動いて当然、出来て当然」という品質を維持しなければならない。ユーザーが使いこなせる、使い続けられるように、利用上の品質を高めていく必要もある。
 だから、プロダクトには常に「変更」が加えられる。そうした、変更に耐えうる構造を維持出来ているか。もし、出来ていなければ手遅れになる前に、機能開発と同時に負債解消を進めていかなければならない。ビジネスの結果は出ているが、「プロダクト」はヨレヨレの状態なんてことには容易になる。やがて、病状が進行してしまった「プロダクト」は誰の手にも負えなくなってしまう。

 プロダクトとしてどうあるべきか、を考える必要ある。それはどんなプロダクトマネージャーでも、プロダクトオーナーでも理解していることだ。
 ところが、日常においてはいつの間にか、「ユーザーのことが思い出せなくなる」、「チームは居て当たり前」、「プロダクトは何をするにしても手間がかかる厄介な存在」、という状況になっていることは珍しいことではない。

 ユーザー、チーム、プロダクト。この3つ観点から、今ココの点検をスプリントごとに行うようにしよう。

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