市谷 聡啓 (papanda)
「アジャイル組織」と「組織アジャイル」
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「アジャイル組織」と「組織アジャイル」

市谷 聡啓 (papanda)

 組織の運営そのものにアジャイルを適用しようという企みを「組織アジャイル」と呼ぶことにしている。世の中を見渡すと似たような意図のことを「アジャイル組織」「アジャイル型組織」と言っているように思える。
 "アジャイル"が形容する言葉であることから考えてみても、アジャイル組織のほうがより言葉としては適切かもしれない。

 ただ、「アジャイル組織」という言葉には何かすでに完成された雰囲気を感じてしまう。アジャイルな価値観とふるまいを備えた状態に達してはじめて「アジャイル組織」と呼べるように思う。つまり「アジャイル組織」には、途上感が無いのだ

 しかし、多く組織にとってアジャイルへと向かう状態とは長く、いやむしろ「到達」と呼べる状態が本当に訪れるのかさえ疑わしく、いまだ未踏のことなのだ。「アジャイル組織」と名乗り上げられる組織が現時点で存在するのか? 私は極めて懐疑的だ(ここでは対象の組織について数千人、数万人を擁する日本の大企業を想定している)。

 というこだわりから、組織アジャイルにする、組織アジャイルに向かう、という途上感を強調するために「組織アジャイル」と呼ぶようにしているのだ。

 そもそも「アジャイル開発」なる一定の方法論が存在しないように(存在するのはスクラムであり、エクストリームプログラミングであり、クリスタルクリアであり…)、「アジャイル組織」という特定の組織のあり方が存在するとは考えていない

 アジャイルとは度合いを示す言葉であるということに立ち返ると、アジャイルな組織もまだどれほど組織としてアジャイルなのかという度合いを持った捉え方となる。その実体としては唯一のあり方があるのでは決してなく、それぞれの組織にとってのアジャイルなあり方となっているはずである

 これは当然だろう。度合いであるとすれば、状態にはFrom-Toが存在する。現在地点(From)がどこで、そこからどれほどのアジャイルな状態へと達するかという向かうべき先(To)がある。
 From-Toで捉えるならば、そのFromとは組織の数だけ存在することになる。Fromが異なるのに、Toの状態は一定で、みなその唯一の状態となることを目指す、という考えには大変違和感がある。

 こう考えると、Toもまたどこまでアジャイルとなるかを決めるのは自組織自身であり、FromからToに至る道筋とはFromもToも異なるゆえに、A社とB社とで異なって然るべきである。このように「アジャイル組織」への道とは極めて動的になる。組織ごとにどのような段階を選ぶのか決める必要がある。
 思えばデジタルトランスフォーメーションとは、ある時点でのFromとToを見定め、そのギャップをどのように埋めていくのかという作戦立てに他ならない。FromもToもときともに変わっていく。ゆえに、われわれは組織のあり方自体と常に問い直さなければならないのだ。

 大変なわけである。

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市谷 聡啓 (papanda)
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