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実験の実験をせよ。

 DXの名の下に、組織が取り組む新たな事業、プロダクト作り、業務改善。組織編成も伴いながら大掛かりに仕掛けていく、その活動の難易度は高い。「どのような組織にも適用が可能なDX推進プロセス」というのは、この先も現れないだろう。「どのような組織でも適用が可能な変革プロセス」が定義できないのと同じことだ。

 組織の置かれている環境、目指す方向性、実際に取り組む人々の状況、価値観、経験スキルによって、取るべき舵取りが異なる。組織の多様性に耐えうる、標準的でなおかつ綿密なプロセスを定義することは不可能だ。せいぜい表層的な指針くらいは見いだせるとしても。

 そうした前提を置きながら、なおもDXに取り組む組織に受け渡せる言葉に何があるのか、考えていた。いくつものDXの現場に立ち会って、一つ思い当たった。それは、実験の実験をせよ、ということだ。

 DXの中身自体が企業によって異なるが、取り組む内容は当該企業にとってはじめてのことになる。ゆえに、仮説検証を中心においた探索的な活動になる。プロダクト開発は、アジャイルになる。

 「実験の実験をせよ」とは、その探索的な活動の方法、体制自体を、探索せよということだ。探索的な取り組み方自体が仮説であり、実行の過程とその結果を一定のタイムボックスでふりかえり、踏まえて取り組み方のむきなおりを行う。

 具体的には、どのような所与の条件によって、どんな出力が得られたかを評価する。その評価でもって、次の取り組み方自体を変えていく。方法はもちろん、人材教育も含め、推進する体制自体もだ。

 こうした方向転換が機動的に行えるように、取り組みのタイムボックスを意図的に切ることが必要だ。プロダクト作りにおける「スプリント」よりも大きな単位になる。これを探索の文脈にそろえて「ジャーニー」と呼んでいる。こうした取り組み方自体の学習を意識的、戦略的に行えるかどうかがDXの推進を左右すると感じている。

 こうしたメタ的な視点を持つことは、そもそも人が苦手とすることであるし、人々の寄り集まりである組織体ではより難易度が高い。「実験の実験をする」という理解と合意を得ることは、おそらく難しい場合が多いだろう。

 そこまで実験を重ねなくても済むように(そんなことをしている時間はないということで)、外部からプロセスを導入する、その分の高い対価を払う、という選択が取られる。

 プロセスが有効に機能するためには、有効に機能したケースと同じ条件を揃える必要がある。しかし、どれだけ所与の条件を、他とあわせようとしても必ず合わない変数がある。プロセスを実行する人そのものである。

 その条件さえ合わせるなら、変革を外部の人間が代わりに実行するということになる。もちろん、それは何のための取り組みなのか、あるいはどこへ向かいたいのか、判然とすることはない。

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