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[読書感想文] 未来のおもいで

「未来」と書いて「あした」と読むタイトル。タイトル別に並べたらあ行に来てあれ?ってなるのかもしれない。自分の読んだバージョンだと、「白鳥山奇譚」というサブタイトルがない。

以前どこかで買った梶尾真治本の、「時の"風"に吹かれて」に続いてまた別の一冊。こっちは長編だからか、ほのかに読んだことがあるような記憶があるようなないような…

でも読み進めてて「もしかしたら… こうなるんじゃないのか!?」って展開を予想しながらドキドキしながら読んでいた。既読者の楽しみ方じゃねえ!楽しいからいいけど!でもそれは単に読んだ記憶があって展開を知っているだけなのか、純粋に展開を予想したのかどっちなのかもはや誰にもわからない。

梶尾真治が熊本出身なだけあって、小説の舞台が熊本になるのはかなり多い印象。今作も熊本にある白鳥山という山が舞台。最近登山好きな自分としては行ってみたくなるほど登山の楽しさである野鳥や野草、逆にあまり整備されていない荒れた道などが描写されている。

主人公は30代のデザイナーで仕事はかなりできてデザイン大賞とかも普通に取っているめちゃめちゃできる人だが、その仕事にもマンネリを感じ、家族も恋人もおらず趣味は登山だけという、満足はしてそうだがちょっとさみしそうなおじさんというか青年というか。

そしていつもの白鳥山に登山中に豪雨に遭い、洞窟に避難しようとしたところでヒロインに出会う。雨宿り中にコーヒーをごちそうしたりするが、女性は美味しそうに飲みながらも反応がちょっと変。女性にかなり惹かれた主人公だが、お別れしたあとにその女性の忘れ物である手帳を拾うが、どうも色々と変なところが。

手帳に書いてある住所に行ってもその人はおらず、名字が同じ夫婦が住んでいる。手帳にある日付を見ると日時と曜日がおかしく、見てみるとはるか未来の日付!

そして女性の方にザッピングするとコーヒーははるか昔に絶滅しているという、だからあの反応だったのか。ともかくやっぱりこの人は未来に生きている。

この二人に特別な結びつきがあるというよりは、白鳥山の洞窟だけ時空の歪みが発生していて、それでよくわからないタイミングで2つの時空が繋がっているらしい。

そのあと二人は2004年と2033年の超遠距離文通を始め、2024年10月15日午前3時48分に中九州大震災が発生することが判明。ってか今年じゃないか!やばいよ!

この本が書かれたのは2004年なので、20年後とははるか未来だったろうけど、読んだ今ではもう2024年。文学っておもしろいなぁ。ってか怖いな。起きないのはわかるけどそれでも最近地震多いし、ドキドキしてしまう。

地震について過去の人に教えて、助かる人もいれば助からない人もいたが、これは単にその世界線ではどうにもならないという悲しい展開。まあそんなことより二人がどうなるのかという方が大事!なんだかんだで調査の結果、主人公が冬の白鳥山で遭難して行方不明になったというバッドエンドが待っていることが判明し、それを防ぐためにもう二人は白鳥山に来ないという約束をする… が、何かに導かれるように冬の白鳥山に登り始める主人公。

「遭難」であって、死亡が確認されたわけではない、つまり冬の白鳥山が未来と接続されて、主人公とヒロインがとうとう再会できたし、主人公もそのまま未来にい続けられるという完全にハッピーエンドだけど、「主人公の住民票とかそういうのどうなるんだろう…」とかクソどうでもいいことを一瞬でも考えてしまうのが我ながらクソい。実際そんなことをエピローグとかで書かれても「蛇足だなぁ」とか言いそうだし。まあ、長者原くんがなんとかしてくれるのだろう。

まあそんな蛇足はともかく、主人公が冬山に持っていったパンパンのリュックにはコーヒー豆が詰まっていたというのがエモい。焙煎前というかコーヒーの木だったら絶滅を救えたりするのかも知れない。

というか、登場人物に普通に加塩というタイムトラベル系をよく書くSF作家がいて、著者本人だこれー!かなりの酔っ払いとして描かれているが、実物はどうなんだろうか。

あと、新しいバージョンだとタイトルがちょっと違うのと、表紙は鶴田謙二なのか!普通に欲しいんですけど。でも今持ってるのは初版本だからこれも貴重…

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