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搭載された親フィルター。

これまでは誰かに言ったり、言われたりしても何とも思わなかった言葉の中にも、親になると違った感情で受け止めたり、すごく違和感を感じたりするものも多い。


例えば『慣れ』や『待望』といった言葉。


ワタシには、ムスメ、ムスメ、ムスコの順で3人の子どもがいる。


3人の父親ともなればよく言われるのが

『子育てはもう慣れたもんだね』

この『慣れ』

元々違和感を感じていた訳ではなく、感じる様になった。

ワタシも普通に使っていたし、長女の時までは何も思わなかった。

だが、子どもが増える度に感じ方は急変。

オムツ替えの様な作業は別として、子育てには決して慣れなんか無いと分かった。

それぞれ性格が違い、その子にはその子に合った接し方がある。

応用は効かない。

この事に気付いてから、ワタシは子育てに対して『慣れ』と言われるとすごく違和感を感じてしまう。


そして『待望』

これは特に困る。

ムスコが生まれた事を知らせるとよく言われる

『待望の男の子』

シンプルに返答に困る。

理由もシンプルで、ワタシにとって3人ともが待望の我が子。

それは男の子であろうと、女の子であろうと関係ない。


もちろん、言う側に非がある訳ではなくワタシ側の問題。

『親』というフィルターを通して解釈する様になってから、言葉の感じ方が変わった。

ワタシ自身、会話中の言葉選びも変わったと思う。

言われた側がどう思うか、これも親フィルターを通して考え、発するようになった。

子育てを通して、思いもしなかったところまで成長させてもらっている。

まだまだ目が粗いワタシの親フィルターを、これからどれだけ繊細にする事が出来るだろうか。

繊細に出来れば出来るほど、人に優しくなれる気がする。

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