人生の転換点 #61
「どうして沖縄にしたんだっけ?」
「なんでやろな?沖縄なんかサーファーが行くとこ、て思ってたのに。」
沖縄なんて観光客だらけで印象としてはハワイと大して変わりない、旅行に行くんだったらもっと人の少ない風情のあるところに行く、なんて思っていたのに、どうして沖縄旅行をすることになったのか、覚えているかと奥さんに聞いてみたところ、返ってきたのがこういう答え。年配夫婦らしい会話だ。
しかし、この家族での初めての沖縄旅行が、間違いなく人生の一番のターニングポイントといえる沖縄移住のきっかけになったのだ。
終電当たり前、下手をすれば深夜にタクシー代に1万円以上かけて帰宅するような超過重労働の会社に勤めていて、身も心もボロボロだった頃。
大きな仕事が一段落してまとまったお休みが取れることになった時、沖縄への旅行を計画したのだった。なぜ沖縄を目的地にしたのかは、上記の通り今となっては不明。
観光地嫌いが計画する旅行らしく、沖縄本島は避けて離島巡りの旅。ピーク時期を過ぎていたこともあって観光客は少ない。
青い空、青い海。映える赤瓦。牛車で行く村巡りに同乗していた観光客は、沖縄本島から来た年配のおじさんたち。
この旅行で、本来の沖縄の姿を存分に味わうこととなったのだった。
そこで芽生えた思いが、沖縄移住。
今の生活を変えたい、このままでは自分がどうなってしまうかわからない。
そんな思いに、沖縄の非日常感がマッチしたんだろう。
奥さんは、純粋に沖縄が好きになったのかもしれない。
子供たちは・・・あまり深く考えていなかったようだ。
しかし、将来は沖縄に移住したいね、そんな話をするようになって、いつの間にかそれが家族全員の目標になった。
実行のタイミングは、意外と早くやってきた。
家族の生活の大きな変更になるので、順当なのは、子供たちが独立して夫婦2人になって身軽になった時。しかしそれでは子供たちに沖縄での暮らしを経験させてあげることができない。
子供たちを連れて移住するならばいつがいいのかと思案していると、たまたまやってきたのがそれから数年後の、長男が高校受験、長女が中学進学という転校手続きが不要のベストタイミング。
長男はさておき、長女は友達と離れ離れになってしまうので抵抗するんじゃないかと思っていたら、「全然いいよ」と拍子抜けするくらいの返事。
タイミングが決まってしまえばあとは実行あるのみだった。
沖縄に移住してもう13年。当初思い描いていた通りの暮らしではないし、沖縄だからこそ感じるストレスもあるが、沖縄を出ることはもはや考えられない。
居を構えたのは、子供たちの教育を考えて、と、離島ではなく本島の、それも那覇近郊の新興住宅地。それほど沖縄らしさは強くない。
それでも、10分も車を走らせれば沖縄の青い海に出会える。
以前の職場は、IDカードを通さないとゲートが開かないようなビルで、社員専用のコンビニやおしゃれなレストランが入居していた。今の職場は、マンションの1室を改造したオフィスとしての動線などまるで考えられていない部屋だし、デスクは中古が取り揃えられていてそれぞれバラバラ。それでも今の方が居心地はいい。
失ったものといえば、収入が半分になったことくらいだろうか。
都会にいた頃のような、心がヒリヒリするような感覚、雑踏の人混みの中で自分が一体どこにいるのかわからなくなるような、どこか所在なさげな感覚を感じることはもはやない。
会社員としての人生もそろそろ終わりを迎えるところとなり、自分の名前だけで生きていかなくてはいけない時がやってくる。生活の変更を余儀なくされることもいくつか出てくるだろうが、それでも13年前の大転換とは比べ物にならないだろう。
今回、この投稿を書いている間、ここには書ききれないさまざまな出来事や思いが心に去来した。それらをぼんやり眺めているなかで芽生えてきたのは、人生の終わりに、あのターニングポイントがあったからこそ今の自分はあるんだな、という感慨を抱いたまま永遠の眠りにつきたい、そんな想いだった。
この投稿は、ことばと広告さん主催のメンバーシップ「書く部」の企画、「#きっとあの日がターニングポイント」をもとに執筆しました。
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