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生きる世界が違うという感覚 #49

今日、ある社会起業家の方のイベントに参加した。

社会起業家(しゃかいきぎょうか)は、社会変革(英: Social change)の担い手(チェンジメーカー)として、社会の課題を、事業により解決する人のことを言う。

Wikipediaより

彼女が取り組んでいる事業が、マイクロプラスチックによる環境汚染や、グローバルサウスの貧困問題など複数の社会課題を解決する。

大きな会社ではないが、事業は海外にも展開し、様々な分野から大きな期待が寄せられている。


生きる世界が違うな、と感じた。


これはお得意の自己卑下からくる感情ではない。

社会に横たわる問題を自分ごととして捉え、それを自分の手で解決したいという強い思いを抱き、周囲を巻き込んで実現させる。

社会的に大きな意義があることは疑いようがないのだが、
才能や能力のあるなしは置いておいて、
私はやれないし、やらない。

社会からはそういう人が注目を浴び、賞賛されるが、
そうではない人の方が大多数なのだ。

経営者がいて、労働者がいる。
生産者がいて、消費者がいる。
どちらか片方しかいない世界はあり得ない。

世の中は、半径1万kmに影響を及ぼせる人だけでは成り立たない。半径5mしか大事にできない人がいてこそ成り立つのだ。

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そのイベントの進行に身を委ねながら、なぜかこんなことをつらつらと考えていた。

自分の身の置き所が定まらないような、ふわふわとした感覚がある日常から、何か自分の落とし所を見つけようともがいているのかもなと、まるで人ごとのように、そう思った。

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