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もうちょっと寝ててくれたらいいのにと思う瞬間

三連休の最終日、我が家には穏やかな時間が流れた。穏やかな休日。そんな日を迎えるのは、控えめに言っても、3年ぶりのことだった。

なぜってそれは、2年と少し前に、次女を迎えたからで、懐妊してからの日々は、本当になんだかんだあって、穏やかなんて言葉は無縁の暮らしだったわけだが、2歳と3ヶ月を迎え、多少、情緒も1日のサイクルも安定してきたおかげで、四六時中面倒見てなきゃ、というほどではなくなってきた。

もう少ししたら、オムツも外れて、会話が成り立つようになるだろうし、それにつれて、穏やかさは徐々に増していくことだろう。長女は大人の階段を登ってまた一波乱訪れることもあるかもしれない。そんななんやかんやを抜けた先に、毎日が夫婦二人、という暮らしがやってくる、そんなこともあるのかもしれない。

子供たち二人が同時に昼寝をした静寂は、そんな未来を先取りした時間だった。無音に満たされる空間。この世に妻と二人しかいないかのような一瞬だった。そんな未来を微かに垣間見て、寂しいと思った。今という時間が無性に愛おしくなった。

だけどやっぱりそれは一瞬で、もそもそと起き出してくる長女や次女の姿に、もうちょっと寝てくれてたら良いのにと思う自分に気づき、苦笑いしてしまった。

穏やかな時間を切実に必要としながら得られず、藻搔くばかりの時間。

それは、いつか誰かが忘れてしまった時間であり、他の誰かが、これから迎える時間でもある。

最近はいつも同じ結論に舞い戻ってくるばかりなのだが、やはり、結局のところ、いまという時間を生ききる、充実させる、十全に生きる。そこに全神経を集中させる、それ以外にないのだろう。

(ようへい)

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