from 長期ネガティヴ to 短期ポジティブ

タイトルを書いた時点で、書き手としてはもう達成感を得てしまっているのだけれど。ようへいメンバー、生き方の方向転換をしようとしていて、そのマニフェストというか、キャッチコピーというか。

あれがこうなったらやばい、これがああなったらまずい。わりと無意識なのだけれども、そんなマイナスからの発想に満ちた人生を送ってきた。

そのおかげで得られた能力や、回避できたトラブルもたくさんある、とは思う。でも、その思考が要求する負荷に、さすがに心が耐えきれなくなった、というか、さすがに変数が増え過ぎて組み合わせ爆発を起こした、というか、優先順位付けと見切りがつけきれなくなった、とでも言ったら良いのか。

まあ、限界を迎えたのです。これまでの生き方に。

同時に、天真爛漫に、というと失礼なのかもしれないけれど、自分にも他人にも素直に、今を大切に生きている人のことを思う時、その感じ方が変わってきた。理解できない、というのではなくて、自分もそうありたいな、と。思うようになってきた。

今の時代における幸福論とは、いかに自分を肯定できるか、ということなのだと思う。

うまくいかなかったらどうしよう、ではなく、うまくいくためにどうしようか、という思考の原点を持つ。

それが当たり前の人からしたら、当たり前にもほどがあるというくらいに当たり前なのかもしれないけれども。自分にとっては、右利きから左利きになるぐらいの変化なのです。だから、頭ではそう思っていても、なかなか、心も身体もついてこなかったりする。

まあ、それはそれで。それも含めて、まあ。タイムリー過ぎてやばいことに、そんな気分に強烈にヒットする歌詞がひさとしメンバーからもたらされたりして。

男子というやつは、間違いなく、間違えながら、生きていく。蕎麦を食ったら痩せられるとか、血迷ったことも口にする。もうちょっと際どいなんやかんやで、間違えそうになったり、一線を超えたその先で、わかっちゃいるけど間違えちゃったりする。

少年の心は永遠に成長しない。のかもしれない。だとしても。まあ。生きるということの根拠に事欠くわけでもない。ケ・セラ・セラ。

その昔、偉大な芸術家は二者択一に迷ったら、危険な方を選べと説いた。尊敬する映画監督は、正解のない理不尽な二択は、選ぶな、留保しろと言った。いまの自分の気分で言うと「あえて間違えてみせても、いいんだぜ」という感じだろうか。

間違いを恐れない。自らのリビドオに忠実に。やー、ほんと、そんな生き方、誰も教えてくれなかったよ。語りかけてくれた人はたくさんいるんだけどね。自分の心が、きっと、耳を塞いでいたんだ。

ここまでウダウダ書いてなんなんだが、妻からすると、ただ単に子育て疲れで体力が落ちているだけよ、ということになる。まあ、それもそうかもしれない。笑

(ようへい)

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