三回回ってワン〜♫ 四回回ってニャン〜♪
一応、毎日更新を目指しているのです。
しかし、ここ1週間ほどのあいだで、結構なかなかないぐらい状況の変化が激しくて。投稿から遠ざかっていて。
noteみにくるとひさとしメンバーが更新してくれてるのを発見したりして。ホッとしたりしています。そんな日々です。
note始めて1ヶ月ぐらいかな?なんだかんだやってると、1000ビューを超えたりなんかして、それぐらい読まれてると思うと、ちょっと頑張ろうかなとかいう気にもならなくもないのです。しかし見てると、200スキとかが付く投稿もあるんですね。すごいことになっている。もうウェブ2.0とかいうと古くさいのに、油断するとつい○○2.0とか言いたくなる、今日この頃。
いまEテレではホールスパイスを使った料理が紹介されています。我が家でもしばらく前から手を染めました。例えば花椒のときなんかもそうだったのだけれど、ちょっと自分だけ見つけたレアな楽しみが急に一般化すると、ちょっと、「ちっ」って、思います。
好きなアーティストがずっとインディーズでいて欲しい、みたいなやつです。
しょうもないエゴなんですけれど。
ともあれ、メジャーに行ったら寂しいと思われるコンテンツ、というのは、一考の価値がありそうです。それは差異であり、希少価値であり、アンチテーゼである。同時に、未来の王道である。
そんなものづくりができると素敵だなと思うのです。
それにしても、メジャーになってもいつまでたってもメジャー感が立ち上がってこない、長澤知之というシンガーソングライターがいるのです。
ソウルセラー、という新譜が有り体に言って最高で、お酒を少しいただきながらギター弾いて歌って、妻子にちょっと迷惑そうな顔をされても、それでもあと一瞬だけ、酔っていたい、そんな曲です。
プライド、ぼくはあなたを抱き歩く、というテーマの歌です。素直になるため捨て去ったらどうか、と、人は言う。それに対して、なぜ素直になるために捨てなけりゃいけないのかと逆に問う。
いまどきちょっと珍しく尾崎豊調の反抗のにおいがします。
彼が名実ともにメジャーになったら、やっぱり寂しく感じるだろうか。や、そんな心配はご無用なのかもしれない。その音楽性と文学性からして。それはそれで、寂しくもある。
心の底からの共感。よくぞ言ってくれた、という喜び、驚き。モヤモヤしていることはわかっても、うまく言語化できないもどかしさ。楽曲における感動とは、その密度によるのだ、と、思うのであります。
そんなことを思いながらほろ酔い即興で、
三回回ってワン〜♫ 四回回ってニャン〜♪
とか唄って、やっぱりちょっと妻の少しなにか言いたげな口元がほろ苦いのか思い過ごしなのか、そんな春の宵の口なのでありました。
(ようへい)
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