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10周年と、新しいピアノ

昨日は結婚10周年ということで、妻と二人、奮発して、神楽坂の一軒家レストラン、ランチながらフルコースをいただいたのだった。

こうして時間を作ってみると、さすがに色んな記憶が蘇る。それは地層のように重なっている。一皿、一皿と食べ進めるごとに、発掘されていく。

10年。それは決して短い時間じゃない。過去の残像が蘇ると、そこには懐かしさというよりは、未熟さや危うさみたいなものが立ち上がってくるばかりで、意外だった。長澤知之の歌詞にならうと、「顔を青ざめることばかり」「顔を赤らめることばかり」。

それにしても、10年ってなかなか、すごい。医療保険も更新を迎える、10周年。電子ピアノも買い替えた。この10年の間にふたつの会社を辞めて、ひとつの会社を立ち上げた。こどもをふたり授かった。押井塾に通った。本を3冊書いて、うち一冊は共演まで果たした。バンドを組んで、作った曲が園で歌われた。アルバムを出した。しかし晴れがましいことばかりではなく、むしろその逆のことばかりだった。涙が出るくらいくやしいこともあったし、死を身近に感じることもあった。もちろん、思い出すだけで笑みが浮かぶような、温かい思い出も、数えきれないぐらいにある。ひとつ思い出すと別の記憶が連鎖する。あ、これが多分、走馬灯ってやつなんだ。

話は脱線するが、死ぬ間際に走馬灯を見るって、死んだ人は証言できないのに、なんでそんな定説があるのか不思議だったんだけど、きっと、こういう「節目」とか「儀式」って、死の擬似体験なのだろう。死と再生。

10年間とは、劇的な時間の連続ではない。劇的な、非連続な記憶とは、忙しく、ダルい日常というやつのなかで育まれてきたのだった。毎週末のカゴいっぱいの買い物。毎日毎日、洗っても洗っても終わらない洗濯。モタモタしたり、間違えたりする日々の生活。生活感。

考えてみたら、結婚して、子どもを持ったからこそ、出会ったりわかったりしたものごとばかりだ。papafrutasはまさに、その筆頭だ。父にならなかったら、絶対に、パパバンドを組むことはなかったわけで。

改めて言語化すると、こんな感じの思いが去来したランチタイムだった。儀式的な時間だった。そんな、特別な時間を過ごすことによって、なにかを「あちら側」に「送った」感じがした。なにか、とはなにかというと、うまく言えないが、きっとそれは、「悲喜こもごも」ってやつに近いなにかだ。自分でも意外なほどに、節目感を覚えた。もしかしたら、結婚式よりも、インパクトがあったかもしれない。

10年間。それは、想像した以上に騒がしい時間だった。スガシカオは、あの頃描いてた未来に、僕らは立っているかなと歌ったけれど、あの頃は、今に一生懸命過ぎて、未来のことなど考えちゃいなかった。そう、明日が僕らを呼んだって、返事もろくにしなかったんだ。

だから、いまから20周年のことを考えることは、しないだろう。僕らの前に道はない。僕らの後ろに道ができる。

(ようへい)

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