何が起こっても変じゃない。覚悟はいいか?俺はまだできてない。

Eテレで放送している番組に、「沼にはまった」なんとやらという番組があって、これが色んな驚きを与えてくれる。

ここ最近の二大衝撃は「バンドリ!」「おはスタ」という2つのコンテンツだ。

携帯ゲームと音楽、舞台、アニメの統合作戦による総合キャラクター事業、とでも言おうか。

そこには、妙にディテールだけが細かい類型的キャラクターがたくさん登場する。ユーザーはそのなかで自分の「推し」を決める。決めてからは、育成したり、恋愛気分を楽しんだり、する、らしい。

これが想像を超えた人気ぶりを誇っているらしい。へえ、いまどきの若者は、、、なんて言葉を使う日が来るなんて思っちゃいなかったのだけれど、さすがにこれは敗北を認めざるを得ない。

しかし、絵も音楽も、多分ゲームシステムもだと思うんだが、独創性というものが見当たらない。そんなものは、はなから必要ない、という感じで、ただひたすらにユーザのダルい日常からの逃避のネタが供給されるのみで、懐かしの「動物化するポストモダン」そのまんまやないかい、という感じ、いやそれは昔からあったんだけど、往年のオタク特有の隠微な感じがスコーンと抜けてしまって、作り手もファンも、実にあっけらかんと楽しんでいるのである。

注目すべきは、コンテンツそのものの品質ではなく、環境演出への力の入れようだろう。ありとあらゆる新技術を動員している気配がある。

考えてみれば、ジャンプ全盛期の傑作は例外なくビルドゥングスロマンであり、アニメ絶頂期のそれは私小説やSFのフォーマットが援用され、つまりそこには文学のにおいがあった。いま起きているあらたな潮流は、それを必要としていない。シミュレーションゲーム的なもの、AKB的なもの、ライトノベル的なもの、初音ミク的なもの、ニコ動的なもの、コミケ的なもの。そういうものの総動員体制によって築かれた牙城みたいな感じ。

や、世を憂うわけでもないし、時代に乗り遅れないよう焦るでもなし。

ただちょっと衝撃がすごくて、うまく飲み込めないんだ。

コンテンツにリアリティを求める、という消費の動機には変化はないのだろう。が、そのチャネルが変わった、ということなのだ、と理解してみる。ウェブ、通信、デバイス、クリエイター、観客、決済システム、そしてプロデュース。「自分だけの物語を手軽に享受したい」という欲望が、これらのコンテンツを生み出したと、まぁ、そんなにあながち外れてはいないのではないか。

手軽さを求める極に衝撃を受ける一方で、沼はまは、その反対にある創造性の極の驚きも与えてくれる。カレーだラーメンだ、はたまたニッチなスポーツにゲームまで、驚きのパフォーマンスを発揮する高校生が次から次へと紹介されていく。

これまた、知識を得やすく、成果を発表しやすい現代ならではの環境が生み出している現象なのだろう。

いま自分たちのもとで育ちつつある子らは、さらにその先の時代を生きることになる。

そこに何があるのか、またあり得るのか、想像のつかなさにクラクラする。でも同時に、自分も現役のプレーヤの1人だという矜持もある。

何が起こっても変じゃない。そんな時代に覚悟はできたとは言いにくいけれど、せっかく授かった命。目一杯燃やしてみたいし、燃やしてる子どもたちの姿を目にしたいと思う。

(ようへい)

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