新しい写真の撮り方のススメ
直感。
それは一種のナビゲーターだと思う。
「これがいい」とか「そうじゃない」ということを教えてくれる。
「なぜ?」と言われても、わからない。
理由なく湧き上がってくる。
それは理由がないがゆえに、容易に無視されてしまう。
でもよく考えてみたら、この感覚はすごい。
何もないところから湧き上がるって、むしろすごい。
「これこれこうだから」とか、「こういう理由があって」とかないのが、逆にすごい。
この直感が、写真を撮る上で最大のカギになると思う。
この直感を、どれだけ的確に捉えることができるかが、カギ。
写真が撮れなくなるということは、直感を見失ってるということに等しいのではないか。
それは、技術じゃないから、見本もないし、何の手立てもない。
ただ単にやってくる。
基本的に多くの人は、直感よりも誰かの撮り方とか、どこかで見た作風をまねる。
直感なんて注意を払ったことすらないのかもしれない。
そんな意味の分からないものよりも、意味の分かる、ハッキリとしたレシピやテクニックを手立てとして、写真を撮る。
おそらくそんな撮り方が面白いのは、最初の半年くらい。
基本的に写真は、面白くなくなる。
そういう作業みたいなクリエイティブは続かない。
そもそもそれは、クリエイティブでもないし。
直感を捉えることができると、俄然写真が面白くなる。
「写真を撮るってこういうことか!」と、そのとき初めて、合点がいく。
直感は、人の目を気にしていたら捉えることができない。
正解不正解で物事を考えていたら、その存在すら知ることはできない。
意味とか無意味とかで考えていたら、容易に見失う。
ただ単に湧き上がってくるものを信用するのはむずかしい。
なぜそれがいいのかの根拠がないから。
ただ、それがいいということを知っている。
根拠なく、ただ単に知っている。
その「良い」という感覚のもとに写真を撮ると、良い写真が撮れる。
評価されるかどうかはわからないが、「良い」ということは間違いない。
なぜなら良いと思う感覚に従って撮ったから。
誰かのまねは、どこかで卒業する日が必ず来る。
なぜならあなたはその人ではないから。
「僕はその人ではないよ」と自分自身が声をあげる日が、必ず来る。
直感と仲良くなりたいものだ。
写真を撮るという行為はそもそも、直感を解放するためにあったのかもしれない。
日常生活で行き場のない直感を発露させるための方便だったのかもしれない、写真は。
そのとききっと、解放感が生まれるはず。
湧き上がってきたものを、湧き上がってきたままに、湧き上がらせると、そこには得も言われぬ解放感があるはず。
というわけで順序を逆転させてみよう。
写真が先にあるのではなく、自分が先にある。
写真に自分を合わせるのではなく、自分に写真を合わせる。
写真の内容にはこだわらない。
どう撮るべきという基準を捨てる。
自分ですら何が飛び出すかわからない。
自分をみつめ、自分の中から湧き上がってきたものに忠実に、写真を撮ってみよう。
出来不出来にかかわらず、そこには解放と喜びがあるはず。
「思い通りに撮ってよかったんだ!」と、そこには解放があるはず。
解放と喜びが写っていれば、それがどんな写真であれ、きっと満足がいくはず。
写真を撮る喜びとは、これだ。
いい写真を撮ることではなく、自分を解放することが、写真を撮る喜びだ。
いい写真は結果としてついてくるかもしれない。
でも、そんなことは気にしなくていい。
結果を気にしなくていいって、それ自体がすでに解放。
いい写真は撮る必要はない。
ただ純粋に、喜びを噛みしめればいい。
そのとき、ああ写真があってくれて本当によかったと心底思うだろう。
感謝と喜びが満ち溢れているなら、これ以上欲しいものはとりあえず何もない。
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