だって世の中が
満6歳になると小学校に入学する。その後、義務教育は中学校までだが、任意ではあれ、高校、大学と道は舗装されている。政府が用意したシステムだ。
「会社に入る」も形式として整えられている。だから「就職」というのだろう。ホントウは自営の道を選んだって「職に就く」だが、そういうケースは「起業」という。「職に就く」は、どこかの会社に所属してこそスタンダードだ。
あらかじめ用意されている選択肢を選ぶ。自由に裁量しているつもりで、自分がデザインされている。最近少し変化の兆しがあるが、誰にとっても小学校は6年。飛び級制度はないし、カリキュラムも文科省の指揮下、各都道府県が描く。
平等かもしれないが、個性は漂白される。
社会教育や家庭教育が充実していれば、少しは個性が邪魔されずに大人になっていけるのかもしれない。でも学校教育だけだと自分の個性は漂白に任せなければならない。嫌なら「中退」の道を選ぶしかない。義務教育は中学校まで。それも義務を課されているのは、その子の親だ。卒業して就職しても、就業している間のファッションも就業時間も「みんな」と一緒、である(ここも最近、少し変わってきたけれど)。
ところが、このスタイルに限界が見えてきた。
マニュアル・レーバー(マニュアルを憶えて慣れる仕事)、タスク(task:与えられた命令を処理する仕事)については、人間は、AI、ロボットに敵わない。彼らは電気だけで24時間&365日、休まず働く(設備投資は必要だけれど)。ショッピング・ビルの案内カウンターもタッチパネルだし、館内清掃もロボットで賄う。もちろん、レジは無人だ。駅のホームにも人はいないし、ビルの建設現場を警備するのはガードロボットだ。
チャットGPTは弁護士にさえ「人間ではないアシスタント」をつけた。職種によってカスタマイズが可能なのだ。彼の登場によってファイナンシャル・プランナーなんて仕事を消滅されるのではと言われている。
つまり、マニュアル・レーバーやタスクが消滅するだけでなく、現場のチーム・ワークは消滅し、僕が小学生の頃に経験した「行進の練習」も「何事も班ごと」は、その必要がなくなる。
「これまでの就業(就職)」は終わろうとしている。勝手な話だが、とっくに賽(さい)は投げられていて、すでに状況は固まりつつある。
僕らは「一億総自営」の海に投げ出される。「自営」がダメなら、さらに使い捨ての「非正規労働者」だ。
竹中さんを大臣に据えた小泉純一郎内閣の発足は2001年だ。もう20年以上も前のことだ。「小泉劇場」が流行語になるくらい国民は内閣の誕生に沸いたが、始まりはあの頃だ。「終身雇用制」が過去のものになるようにと次々と立法、法改正が行われた。
(「為政」とはこういうもんだ。物議を醸し出ししそうなものほど、時間をかけて少しずつ進めていく。今も10年後、20年後を見据えて、テレビが中継しない国会で、新しい法律が成立したり、法が改正されたりしているんだろう。時期がくれば、電通さんが入っているのかいないのか、プロパガンダなキャンペーンもデザインされていってるんだと思う)
で、僕らは逃げ遅れる。たいていがそうだ。
年齢にもよるだろうけれど、我慢して会社員を続けようとしても「会社員」という働き方が滅びにひんしている。少なくともタスクはそうだ。時間を切り売りして「労働」を商う。そういう賃金労働も厳しいだろう。
たぶん、そこにいた時間の長さではなく、労働の質(しつ)が問われる。プロ野球の選手みたいに、毎年の「契約更改」「自由契約(つまりクビ)」な就業スタイルが、僕らにも及んでくる。
どうしよう。
処方箋は「個性」しかない。金になる芸を身につけることだ。「資格をとる」ではない。だって資格化されてるってことは、すでにオンリーワンじゃない。ライバルが何万人か、それ以上はいるっていうことだ。だから、資格を取るより、全国の「かき氷」を1日=8杯なんていう食い方で食って「かき氷」に一家言持った方がいいんじゃないかな。マツコさんの番組に出たり、トークショーに呼ばれたり、商品開発に協力を求められたり。
需要があるかと考えるより、突っ込んでいけば、案外、オンリーワンは後からついてくるように思う。マツコさんの「マツコの知らない世界」を観ていてそう思う。肝心なのは「夢中になれる」を見つけることだ。
フツウに伍してやっていこうとする限り、将来はないと思った方がいいと思っている。だってAIやロボットには敵わないから。フツウのひとが普通の日常を綴っても、読者は読んでくれないだろうから。
たぶんね。ちょっと怖い方へ踏み出すんだ。
学校で教わったことは忘れてね。
周囲の状況を確認してからマスク外すようでもダメなんだ。
だって、世の中がそういう方向に変化しはじめちゃってる。