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Art

「Art」という言葉が、この国で汎用されるようになったのは、早くとも20世紀に入ってことのだろう。「美術」という言葉も明治に入ってからのもの。でも、欧州で「Great wave」と評される北斎の「神奈川沖浪裏」は、ご承知のように江戸時代の作品だ。

明治以前のわが国がアート的なものに「不毛」だったわけではない。むしろ、その逆だ。国際的評価では。江戸時代以前の絵画や彫刻の方が高い評価を受けている。

マイセンの焼き物は、当時、ヨーロッパ市場で不足した「柿右衛門」のコピーから発達したもの。画家たちが、神を描くことを卒業し、いよいよ「街場の美」を発見しようとしはじめた印象派、彼らに示唆的だったのが「日本の浮世絵」。北斎や広重、歌麿たちが「江戸の日常」に美を見いだした、その姿勢をインスパイヤーしたもの。

大正も終わりの頃、柳宗悦は、日本各地の焼き物、染織り、木や竹の細工物に、ハイカルチャー(ファインアート)でなくとも、それと同等の美があり、さらに日常生活に活かせる作品(「用の美」)だとして、それらを再評価しようとする民芸運動を立ち上げたけれど、つまりは、明治以降、日本政府は徳川を否定するために欧化一辺倒で、しかも欧米文化の移入にご執心だったことへの反抗。舶来礼賛への反発だった。

でも、肝心の本家=ヨーロッパは、すでに江戸時代には色濃く日本のロウカルチャーに刺激を受け、文化を変質させ始めていた。

(マリー・アントワネットは、日本製の蒔絵の小箱を収集していた)

それなのに、明治以降のわが国は、外来の「アート」という概念にまどわされてしまう。先進国だったのに、それとは知らずに後進国に学んじゃうような。

(べつにパリに行く必要なんてなかったんだ)

今も陶芸家の中に「前衛アート」しちゃう、そういう「つくり手」がいる。もったいないなと思う。

とにかく「アート」っていう舶来の概念に踊らされる必要はない。よその国の「概念」を我田引水に解釈しちゃうのもよくない。

だから、ただ僕らの画を描けばいいんだと思う。表現するのに、お作法に縛られても仕方がないし。

いずれにしても「Art」は絶対でも前提でもない。
学校教育で洗脳されちゃってるところから、もっと解き放たれた方がいい。

ただ描けばいいん。彫ればいい。撮ったって、書いたっていい。
自由になったもん勝ちなんだ。