軍事と僕ら
「学校」
僕らが「学校」だと思っているところ。
教育機関なのか。訓練機関なのか。
「班」は軍隊由来、「班ごとに共同責任」なら、それも軍隊由来。「行進&整列」で統制されるのも軍隊由来。高校の「普通科」も、軍隊の「普通科連隊」っていう編成上のカテゴリーに由来する。
ランドセルも第一次大戦時の軍装由来。だから、僕らの世代だと給食袋をぶら下げたサイドの金属製フックは、当初、手榴弾をぶら下げるためのものだ。
高橋源一郎さんがおっしゃるように、あれは「入学式」じゃなくて「入隊式」。オブラートに包んで、僕らを軍制の中に編成しようとした。
違うかな。
大人になっても「戦争由来」は蔓延していて、ホチキスの連弾は機関銃に装着される弾倉の構造に由来する(だから「弾」っていうのかな)。農薬は毒ガス由来。今、園芸屋さんに並ぶ家庭用の除草剤には、あの枯葉剤を薄めたものもある。
インターネットだって、開発されたのは軍事目的。レイバンのサングラスもオメガのクロノも軍事目的。今は、あんまり見かけなくなったトレンチコート。あの肩のストラップも、将校の階級章をここに示したことから、一般的にエポレット(肩章)と呼ばれるようになったもの(ショルダーストラップともいう)。
かつてデザイン批評の柏木博さんは、皮肉混じりに「デザインを育てたのは戦争だ」なんって言ってたな。
僕らの暮らし、受けてきた教育って、けっこう軍事由来なんだ。
どうしようね。原子力だって、そうだもんね。
ただね。
ここを素通りして「平和運動」はできないと思うんだ。