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どうやって生きていこう

竹村健一さんというジャーナリスト、評論家がいた(お亡くなりになったのは2019年)。僕はTBSラジオの「ミッドナイトプレスクラブ」という番組を憶えているが(中学生〜高校生だったな)、一般的には「これだけ手帳」のおじさんとして知られているのではないだろうか。
「これだけ手帳」は「仕事ができない奴ほど、たくさんの資料を持ち歩いている」が持論の彼が監修した手帳で、1980年に販売開始、その後30年にわたって発売され続けた。テレビCMにも出演していたので、たぶん、彼を全国区の人にしたのは、この手帳だと思う。

それにしても隔世の感がある。

なにしろ、どれだけ集約的でも「これだけ手帳」は「紙の手帳」である。スマホなら、もちろん、たくさんの「紙の資料」を持ち歩く必要はない。でも、膨大な「情報」を持ち歩くことができる。

印字必須の時代からデジタルの時代へ。通信環境も進化して膨大な資料は空の彼方のストレージへ。持ちきれない資料を掌中に。そういうことに何の負担もない。

ファンデイションが変わっちゃえば変化は、当然、抜本的ということだ。

これから「働く」に同じようなことが起こる。

集団で生産するより、生産効率よく、またハイ・クォリティに、個人が仕事を仕上げてしまう。相棒はチャットGPTだけだ。巨大なライン生産にも人はいない。AIとロボットが働いているだけだ。

「紙の手帳」のように「みんなで働く」が無くなる。

1961年生まれの僕と同世代には、まさに「え。聞いてないよ」だろう。ぢ雨していいかわからない。「みんなで働く」にも、それなりの気遣いは必要だった。気楽にやってきたわけではない。

でも、もうスーパーのレジは無人が主流だ。ガストでも配膳は猫型ロボット。スタバやマックが「無人」になるのも時間の問題だろう。楽々清算は、きっと経理部を壊滅させていく。法令に沿った契約書もヒューマンエラーなくAIが仕上げていく。チャットGPTは、すでに市役所にも導入されているし、学会発表の資料を「チャットGPTと」という学者さんも少なくない。

どうする?

でも、行政、すなわち公共政策はあてにしない方がいい。能登のみなさんの現状のように放置に近い状況に置かれるだけだ。

「どうしよう、どうしよう」で、一歩も動けないのが一番まずい。命取りになりかねない。「トリアージ」「損切り」、そういうところで逡巡してしまうのも良くない。そんなゆとりはない。

「どこに就職しよう」ではない。「どうやって生きていこう」だ。

フェーズが変わってしまう。「紙の手帳」にこだわるのは勝手だが、それでスマフォと対等にやっていけるかどうか。

確認しておくが、世の中、世間は冷たいよ。
高畑勲監督の「火垂るの墓」を思い出してみるといい。