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このまま死んでしまいたい

曲名「アカシアの雨がやむとき」

アカシアの雨にうたれて
このまま死んでしまいたい
夜が明ける 日がのぼる
朝の光のその中で
冷たくなったわたしを見つけて
あの人は
涙を流してくれるでしょうか

この詞を書かれたのは、故・水木かおるさん。1960年代の歌謡史を語る上で、外すことができないといわれている大ヒット曲(1960年発売)。藤原秀行さんがおつくりになられたメロディーも、また、この歌を唱われた西田佐知子さんの声や、感情を押し殺したようなソリッドな歌唱法も含め、どーんと悲しく、切なくなれるような楽曲。…というより、直球で「死」が唱われている楽曲。
きのう、YouTube巡りをしていて、偶然、この楽曲にゆきあたり「このまま死んでしまいたい」と始まって「冷たくなったわたしを見つけて」とサビにかかっていくこの歌が、メジャーにヒットした時代ってどんな時代だったんだろうと。

だって、唱ってる人の「死体」を連想させる歌詞。当時のことですから「それでは唱っていただきましょう。どうぞ」とか言われて、西田さんは、オーケストラをバックに「このまま死んでしまいたい」「冷たくなったわたしを見つけて あの人は 涙を流してくれるでしょうか」と唄っていたはず。

お客さんは、これをどんな歌だと受け取って、どんな気持ちで聴いていたのか…どこをどういうふうに愛でたのか…

バブルの絶頂期に,この楽曲を戸川純さんがカバーするけれど、最初に西田佐知子さんの歌唱でレコード(当時)が発売された1960年といえば「所得倍増計画」元年か、その前の年、いずれにせよ、昭和の高度成長期が日の出の勢いの絶頂期へというとき。

奇妙にシンクロするようでもある。デジャブのようだとか。

いずれにしても、こんな楽曲が国民的にヒットする、その頃の日本には、いったいどんな空気が充満していたのか…僕は、まだ生まれて間もなく、当時の大人たちの世界のリアルなところは、さっぱり記憶にない。物心つく頃には「アカシアの雨がやむとき」は過去の名曲になっていた。

今、カラオケで、歌がうまい人なんかが、この楽曲をろうろうと謳い上げちゃったりしたら、その場の雰囲気はいったいどうなるんだろう。

今は自殺の名所が若者文化の発信源みたいになってしまう時代。

なんか、聴き入っちゃったら、そのまま沈んでいけそうなこの楽曲が、今はどんな時代を写し込んでいくんだろう。

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