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In the United Kingdom

2018年2月1日号の週刊新潮に見つけたコラムです。

ああ、知価(情報)生産時代の実際って、こんななんだろうなと。とても的確なスケッチだと思う。藤原正彦さんの筆によるもの。全文を引用させていただく。

その人がハッピーならそのままにしておくというのがイギリス人の基本的考え方である。他人の行動にめったに干渉しない。そんな国民性のせいかイギリスには変わり者が多い。「ハムレット」の中にも「イギリス人は気違いばかり」という墓掘りの言葉があるくらいだ。周囲の目を気にせずしたいことをする、という人は確かに多い。たとえば冒険家が多い。太平洋探検のクック、アフリカ探検のリビングストン、南極探検のスコット、「日本奥地紀行」のイザベラ・バード女史、エベレスト初登頂の英国隊……。冒険小説も、「ガリヴァー旅行記」「宝島」など枚挙にいとまがない。学問における冒険とは独創的研究だが、力学のニュートン、電磁気学のマクスウェル、蒸気機関のワット、遺伝学のダーウィン、近代経済学を編み出したアダム・スミス、それに大修正を加えたケインズと多士済々だ。
英国人の友人にも変わり者が少なからずいる。Cはケンプリッジの天才的数学者だったが、その後数学者をあっさりやめ、ITの仕事をしたり、囲碁三段の腕前を生かし入門書を著したり、ウィキペディアに大学・大学院生レベルの数学解説を書いたり、と高等遊民になっている。時折そういった解説を読むが、Cの書いたものには一流の冴えがあるのですぐにそれと分る。彼のケンプリッジでの教え子(数学と碁)に、世界一のプロ棋士を破った囲碁ソフト「アルファ碁」を考案したデミス・ハサビスがいる。Cに頼まれ大学生のハサビスにお茶大の研究室で会ったことがある。「プロ棋士に勝つ囲碁ソフトを作るのが夢」と言うから、「今までのものの改良では不可能だ。脳科学をよく勉強した方がよい」といい加減なことを言っておいた。ところが彼は大学を出て数年後、本当に大学院に入り脳科学を専攻し、卒業して数年後に「アルファ碁」を作ってしまった。
Cの夫人は全英で女性トップ三百に入る実業家だが、ケンプリッジで研究していた愚息をプロレスに連れ出すほどの格闘技好きだ。とりわけ大相撲ファンでしばしば日本を訪れる。彼女はこの三月に会社からあっさり身を引き、映画製作の暮を始めるという。充分な資産を作ったらいつまでもあくせく働かず、田園に移住し庭仕事や読書や芸術など、好きな活動に精を出しながら人生を楽しむ、というのが英国紳士階級の理想なのだ。赤ん坊の頃から知っている息子は高校生の夏休みに拙宅で一月を過ごした。オックスフォード大学の数学科受験を秋に控えながら一切の勉強をせず、プックオフでマンガ本を連日買い漁った。値段がロンドンの五分の一とか言っていた。心配して、「少し数学を見てやろうか」と言ったら、「I am off now (僕は今休暇中)」­とはねつけた。マンガを八畳間に並べたら端から端まで届いたから二百冊はあったろう。ただ、子供は子供で、帰国時に­郵送料が五万円もかかると知り青ざめていた。入試には合格した。優秀な成績で­卒業した後、あっさり数学を捨てロンドン大学で法律を専攻、弁護士を経て裁判官としてマンチェスターで活躍していた。ところが一昨年の手紙に、再びあっさり­職を辞し、男性と結婚しアメリカのシカゴでチョコレート職人になったとあった。仰天動転した私が、昨年我が家を訪れた母親にショックだったかと尋ねると、「少し驚いた」と言ってからショコラティエとしての活躍ぷりをうれしそうに語った。娘はケンブリッジで生命科学の修士を取りながらこれまたあっさり学問を捨て、京都で日本語とキックポクシングを勉強し、今は旅行会社で働いている。Cの家族の奔放さにはいつも目を白黒さ­せられる。と同時に人生を何度も生きているような羨ましさも感ずる。私などは、かしずこうともしない女房に三下り半も突きつけられぬまま、四十年近くしがみついている。いじましい、いたわしい。

あれから5年ほど。残念ながら、なかなかバリアがフリーになっていかない事柄もあるけれど、わが国でも、急速に「フリー」を実現している事柄もる。「あっさり数学を捨てロンドン大学で法律を専攻」とか、「生命科学の修士を取りながらこれまたあっさり学問を捨て、京都で日本語とキックポクシングを勉強し、今は旅行会社で働いている。」とか。

こういう縛られない感じが、見事に成果を上げ始めている。

つまり、知価生産時代はとっくに始まっていて、これまでの「専門」というバリアに縛られない知価生産のスタイルが確立されつつあり、さらに良質な知価を生み出しつつある。

(ああ、そうだ。ロンドンにはケンブリッジを出て、ストリートでステーキ焼いて当たりをとってるストリート・シェフがいらしたな)

一方、高次な教育を受けることができない、そうした資金力を持たない人々は、以前にも増して頑強なバリアに閉じ込められるようになって、ますます出口を見失ないつつもある(情報弱者という言葉もできています)。一部で生産される知価(情報)がより高価なものになっていけば、なおさら、追いついていくのは難しくなるのだろう。

(こういうことにコツってないんだろうし)

とにかくマニュアル・レーバーで職にありつくのが日毎に難しくなっている昨今。そのあたりはAIが代行してしまって、かなりの高次になる業務に関しても代行が可能。チャットGPTは、市役所業務にも割って入ってしまう。契約書の法務上のチェックも、弁護士さんのアシスタントも。そして、彼らは「電気」しか食わず年中無休で24時間、働きます。

藤原さんが紹介されているように、イングランドあたりでは知価生産のありまたが明確になっていくとともに、邦人と異邦人が、少なくなったマニュアル・レーバーを奪い合う状況も恒常化しようとしている。この流れが日本にやってくるのも間もなくのこと。この時代に鎖国は効かないし、効かせちゃったら国際的に孤立でしょう。

しかも産業革命がそうだったように、後から、その洗礼を受ける国ほど、急ピッチで物事が進む。日本の場合は、知価(情報)生産な現場が確立されるのとAI化が同時進行だろう。それに経済的な苦境が重なれば、企業を守るために、AI化はさらに急ピッチ。

なんどもしつこいようですが、そんなに時間はありません。

(僕らも「まちづくり」な仕事を、政策提案したり、あるときは冊子をつくったり、イベントをつくったり、小さな本箱を置いてもらう事業やったり、地区にオリジナルのブレンド珈琲をメイキングしたり、必要ならばオーケストラを編成したり。その一方で畑を耕して、郊外で「農」とある郊外暮らしを提案したり。職業名詞では絞れない働き方だし、どこまでが仕事だか、どこまでが趣味なんだかわからない生活をしている、と)