見出し画像

みんな

うちが「自営」だったからかもしれませんが、わが家では、子どもたちに、この世間を「自分で生きていく」を教えようとしていたように思います。少なくとも「組織に属して生きていく」ための方便ではありませんでした。「世間」とはよろしくやっていくものだが、あくまでも主体は自分にあって命じられるところに「従う」ではない。判断は自分でして、世間は自分で受け止める。人生は自分で切り拓くもので「我慢して従え」とか「集団の規律を守れ」ということを教わった記憶はあまりありません。

一方、多くの場合、世間は「参加する」ものです。学校にも参加し、クラスの人間関係に参加し、だから大学に進学してもコンパに参加し、会社にも参加させてもらえるかを問うて、許可が出れば参加します。オール自営業のわが家では学業よりも家業だったし、就活の経験者もいませんでした。こういう家の価値観で育った僕は、故に、クラスからは浮き上がるんですが、こういう時代になってみると「イマドキ」にふさわしい貴重なライフ・コンセプトを身につけさせてもらった感もあると思っています。

特に母親の家系は、今から100年以上も前の時代に、女性一人ヨコハマを斬り抜けてきたひいばあちゃんが家祖。彼女は関東大震災も第一次大戦後の好景気も昭和恐慌も、上海事変あたりの軍国景気も、その後の空襲被災も、第二次大戦後のハイパーインフレの嵐の中、占領軍が跋扈するヨコハマを生き抜いてきた人。無学、読み書きすらできなかったひいばあちゃんに「就職先」があるはずもなく、秩父から出てきた彼女は一人で生きてく人生哲学を研鑽するしかなかありませんでした。

そして、このひいばあちゃんが中心にあった「家」に、組織の中で生きていくという概念はなく、自分で切り拓けなければ「ひ弱」とされました。

そもそも「職業に就く」ということを意味する「就職」という言葉が「会社に入る」と同義語になったのは、実は最近のこと。それなのに、その「就職」を定番化させてしまうのは、とても危険なこと。勝負は「面接」だけで、あとは、お金の稼ぎ方から、税金の支払いまで「会社に任せる」…それは、終身雇用を政府が主導していた(できていた)極めて稀な時代だけに通用していた方便なのだと思います。

会社というシールドを失って、風圧を一身に受けながら歩く世間は厳しいものです。

加えて、これからは学歴だけでは生きていけないし、実質的な素養が求められる時代でもあります。労働市場は国際化、もちろんAI(人工知能)もライバル。さらに変わり者が生きにくかった時代が急速に終わり、「フツウ」の価値が失われていく…工業生産時代の優等生は、全く立つ瀬がなくなる可能性大です。

(そうした流れを今般の災禍が加速させました)

僕はクラスからは浮き上がっていたからいい。「みんな」はどうするのかな…そういう時代になったのです。

わが家に先見の明があったわけではありません。ただ一族郎党「自営」だった…ただそれだけです。

それほどに「自営」と「給与で生きる人」は、ライフ・コンセプトからして違う、そのことが「給与で生きる人」に想定できるかどうか。なにしろ、少数派である「自営」と違って、「給与で生きる人」は多数派であり、故に「みんな」ですからね。