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「従来の文化施設」だけでなく?

文化の現場は「従来の文化施設」だけでなく「地域」へ広がった

これはある本にあった目次の一行。

「ええ、そうなんだ」

僕は、良質のコンサート至上主義じゃないこともあって、1980年代から、ほとんど文化施設で興行やイベントを打ったことがない。

これから再開発という更地に池を掘って土を盛り、そこで野外劇をやったり、海岸に特設ステージを組んで、世界中からパーカッショニストを招いてフェスティバルをやったり、取り壊される予定の倉庫でアーティストに空間を造作してもらって、そこでダンスや音楽、演劇をやってもらったり。まだハンドメイド・マルシェなどという言葉が無いうちに、公園で作品市をやってみたり(このベントは四半世紀以上続けた)、そんな感じ。
小規模のものにしても、特化型とか専用のホールでのものでなく。自治会館だったり、集会場だったり、ビルのアトリウムだったり、街頭だったり。とにかく楽屋からつくらなければならないところばかり。ステージもそう。場合によってはトイレも。

僕の場合、まちと文化をどうやって出会わせるかがテーマだったからかな。

最初から「箱」の中に入れちゃうんじゃなくて、まちの空気の中で、音楽や演劇、ダンスやパフォーマンスを行い、美術的な作品を展示したかったから。

でもね。

非日常は非日常だったな。

アクセントにはなるけど、そのまちの文化にとってはジャミングでもある。
それにイベントごとは消えちゃうしね。定期開催しても、そのまちの365日に、あんまり影響することはできないしね。

結局、まち文化の主役はお店屋さんなのかなって、今はそう思っている。
本屋さんとか、喫茶店、カフェと可も含めて飲食店とか、八百屋さんだって、個人店なら、そのまちの文化を醸成していく。だから、いかにも既製品で金太郎飴なチェーン店ばかりのまちは、文化的に細いんだ。どこか冷たくもある。寂しげ。

ホールも毎日ような稼働していて、そのまちのお店屋さんのようなら「まち文化」の一翼を担えるんだろうけれど。いまどきは館内で食事まで完結しちゃうしね。

音楽系のイベントだけで200本くらいは企画して製作してきたけど、達成感はないんだ。

だから「農」だけじゃなく、「お店屋さん」の準備も始めてるんだ。

で。

お店屋さん始めたら「定住」も本格化するんだろうから、僕の旅も終わりかな。生まれてこの方、10年、同じところに住んでたことがないからね。