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Charles Aznavour

もう10年以上も前のことになるけれど、奥さんと、東京フォーラムまで、シャルル・アズナヴールを聴きに行った…ということがあった。

1924年生まれだそうだから、当時の御歳=83歳。その、じいさんであるはずのアズナブールの声が5000席以上の大ホールを満たしていく…まず、そのこと自体に感動したな。もちろん、PAは入っている。彼はマイクを握って唄っているわけだけれど、そういうことでは拡大しようもない「気」というのか、「雰囲気」というのか、「音霊」というのか、そういうものがホール全体を包み込んでいくように広がる…なんなんだ、この人は…

と。

僕はフランス語は苦手です。歌詞はところどころしかわかりません。奥さんなどはさっぱりです。でも、何を唄いたいのかはよく判る。歌詞の内容というより、どんな人生を唄っているのか…その人生に、彼がどういう想いをもっているのか…奥さんも僕も、振り返ってみると、だいたい同じ情報を受け取っている…あまりにも判るような気がするので,買わないつもりだったプログラムを買って、演じられた楽曲の要約を読んでみると…やっぱりあってる…不思議なことに…

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でもね。そうやって言語にできる部分より、言語化できないところで伝わってきたものの方がはるかに重厚だった…

本来、僕は、ホールより街かどで音楽を聴きたいと思っている。専用の空間だったとしても、せいぜい寄席か、ライブハウス、ジャズクラブまで。でも、これはもう二度と聴くことができないかもしれないというシチュエーションに巡り会わせ、絶対に聴いておくべきで、まだ奥さんが聴いてないというときは、万難を排してでも聴きにいくようにしている。

もっと前のことだけど、その最初はステファン・グラッペリだった。1930年代に、あのジャンゴ・ラインハルトと活躍していた、ヴァイオリン奏者…やはり80歳を超えて彼が来日したときに、その生音を聴きに行った。

CDなり、アナログレコードなりというものは、音楽のメモ書きみたいなもの。人間の録音技術っていうのは、未だ、その程度のもの。演奏された音楽の、全ての音を聴くためには、演奏が行われているその現場に居合わせるしかない。

耳に聞こえてくる音だけではない。その場の雰囲気、演奏者の発する「気」というか「オーラ」というか…そういうものは録音すらできない。やっぱり、聴きに行くしかない。

MCなしで唄いっぱなし…最後は、ほとんどがご高齢の方が埋める客席が、みんなスタンドアップ・プライズです…うちの奥さんは「神様の声ね」と言って泣いていたっけ…あ

あ、上手く書けません…やっぱり聴いてみていただきたいんだけれど、一昨年の10月、シャルル・アズナヴール氏は天国ツアーへと旅立ってしまわれてしまって。

J’aimerais savoir quoi dire mais les mots ne suffisent pas.

94歳の大往生だったんでしけど、惜しまれる死だったと思っている。長い間、ありがとうございました。

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