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お金から時間へ

金持ちであるとか、貧乏だとか、そういうことでステイタスが決まるという時代は溶けるように無くなって、今は昔のことになっていくのだろう。

それくらい僕は、押し並べて貧乏になっていくと思っている。つまり二極化。現状の政治や行政の力量では、この流れに抗しきれないだろう。

今も、この国に国籍を持つ1億1千万人のうち、資産10兆円以上の人が静岡市の人口ぐらいいる。でも、1億1千万人の約70万人(=静岡市)が、全国に散って点在して、たぶんひっそりと生きている、だから、垣間見たことすらないし、つまり、市井に暮らしてきた僕らには想像もつかない世界だろうと思う。「そういう人たち」と「その他大勢」な感じに二項分布。もちろろん、半々ではない二極化。

高度成長期には「一億総中流」とかいって、全員「中流」かなってイリュージョンに引っかかってたが、これからは赤裸々。僕らが住む世界では、お金持ちと貧乏人は誤差みたいなものになっていく。だからステイタスの優劣には別の基軸が用いられるようになるのだろう。

たぶんね。自律的に食っていて、自由になる時間を多く持っている人、あまり「組織」などから束縛されていない人が「カッコいい」になっているのかと。

それしかないですからね。

市井においては高収入なビジネスマンだけど、心に病を抱えちゃうような感じだとステイタスは低くなっちゃうのかな。ベイシック・インカムが実現すれば、尚更、そんな感じになっちゃうんだろう。

きっと、そう遠い未来な話ではないですよ。

きっと。