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見よう見まね。

未だに街場では「形から入って、形だけで終わる」がスタンダードかな。
無意識にそう。

未だに工業生産時代に則して「目で見て憶えて慣れる」教育で育ってきた人が大半だから、それが当然の帰結なんだとも思う。

こればっかりは「学校教育」のせいかな。

目に見える部分だけをコピーしようとして、それで終わり…
しかも、精巧にコピーできるわけじゃなく、どこか訛っている。中国のドラえもんみたいな感じ。
だって、視覚に飛び込んでくる「形」だけを注視してしまう人に、正確にコピーをすることは不可能なんだ。だって、その「形」を造りだすまでに注がれた、つくり手の努力って可視できないでしょ。

それだけじゃない。

その「形」の持っている値打ちのほとんどが「見えない」もの。逆に言えば、そのあたりが見えないからこそ。いつだったか「中国のドラえもん」みたいなコピーに終始してしまうともいえる…

着心地、使い心地…

実は「形から入って、形だけで終わる」では造れないものばかり。

だから「見よう見まね」じゃダメなんだ。

肝心なことは言語や数値じゃ教えられないし、だから時間もかかるしね。
ワークショップっていう感じじゃ難しくて、やっぱり、なにか学ぶには「修行」って感じになっちゃうんだろうね。

「できる範囲内」よりは、ちょっとか、だいぶか「苦行」的になっちゃうんだろう。