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久隅守景

「達筆」というと、本来「文字を上手に書くこと」なんだろうけれど、久隅守景の描いた絵を観ていると、その熟達した筆運びに、思わず、その「達筆」という言葉をイメージしてしまう。狩野派云々という美ではなく、とにかく至極の筆運び。あの頃のこの国に、二人といない名人だったんだろう。

でも「美」についての考え方はまるで前衛。

久隅守景は、あの頃のハイカルチャーが「醜いもの」「衆愚」とした庶民の姿にこそ「美」を見出した。

彼は、まだ17世紀、赤穂浪士が討ち入りをしようかという時代の人。19世紀、フランス印象派の画家たちも庶民生活に「美」を見出そうとしたけれど、彼らに大きな影響を与えた北斎や広重よりも、守景はゆうに100年以上も「以前」に生まれた。
当時の絵師、特に探幽のような御用絵師は、大名たちの威厳を演出するためのイリュージョンを生み出す力量で尊ばれていた。だから、鷹狩の供をする者が藁束の上に腰掛けてあくびをしていてはいけない…鷹狩に参加する全員が、殿様の号令一下、合戦さながら勇猛果敢に鷹を追わなければならない。

そういう絵を描いた。

見方によっては探幽よりも熟達した筆致で、でも「衆愚」を愛おしく、こうも美しく描かれては、狩野派もたまらなかっただろう。だから久隅守景を狩野派随一の高弟にはしておけなかった。絵師になっていた彼の息子さんも不行状から狩野派を破門され、さらに島流し。挙句に娘さんも狩野派門下の若者と駆け落ち…で、久隅守景は在野に下る。

恐らくは、彼が糊口をしのぐために描いたと思われる個人蔵の「軸画」に、軽やかでいいものがたくさんある。

彼は、日本らしい 街場の、やさしい絵描きだ。