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かつて筑紫哲也さんは

かつてのニュース23(TBS系)…
筑紫哲也さんがキャスターだった頃。

筑紫さんによる「編集後記」みたいなコーナーがあって、そのコーナー名を「多事争論」といった。毎日、筑紫さんは、筑紫さん手書きのテロップを前に世相を語った。以下は、癌に倒れた筑紫さんが病床から語った「多事争論」からの一節。2008年のことだった。

政治は、古典的には世代の間でパイを奪い合う、つまり、若い世代に使うのか、高齢者に使う のか、その配分の争いといわれます。これが選択肢のはずなのに、この国のおかしなところは、そのどちらにも行って いない。資源のない国で教育に投資していない、じゃあ医療に使っているかというと高齢者を切り捨てる。未来にも投資 していない、過去にも投資していない。じゃあ、どこにお金が行っているのか。シンボリックには、道路を作るために59兆円のお金を向こう10年使い続ける。つまり、お金が変なところに行っているのです。

私は今ガンを患っています。ガンに犯されると本来使うべき栄養やエネルギーがガンと戦うためにそこに取られて しまう。本来人間が生きていくためのそれに向かなくなる。この国は、一言でいえばガンに罹っているのです。

起きていることははっきりしている。それに対してどうするのか。何をやるのか。敵はなかなかしぶとい。問題ははっきり している。ある意味では単純である。だからやれることは簡単かというとそうではない。問題がここにあるということをはっ きりさせて、その上で、それと戦うのか、負けるのか、それが私たちに迫られている選択肢だろうと思います。

筑紫さんは、あのとき「日本は今、ガンを患っている」とおっしゃった。ああ、そのとおりだと思った。僕らも、食料の自給の道を考えはじめていた。

筑紫さんの言葉は、今も僕の中にサスティナブルに響いている。

あれ以来、自分の中では「この国は一度は負ける」を前提に、不時着時の備えと、戦後策を見つめるようになった。

その後、僕自身、2010年に脳出血に倒れて、頭の中に渇かないカサブタを抱える感じになって、次の時間と一期一会な感覚で気を抜くことなく取り組めている。

それにしても、たいていの人が、怪しいな、苦しいなと思いながら、まだ「負ける」にリアルな感覚はなく、ゆえに無防備。「敗戦は現実になる」を前提に考え、提案と実験をはじめると、ほんとうに孤独だ。

でも、ツイッター(X)のタイムラインなどから推測するに、僕一人が変わり者ということもなさそうだ。それぞれの分野で闘っている方はいらっしゃる。

ただね。「集まって運動になる」は違うと思っている。集まって群になって「要求」の迫力を増しても、もう政府が腐っている。民間を含む「日本型組織」自体が機能不全に陥っている。還暦あたりより上の世代だけでなく、若い世代もSNSがある時代を「なかった時代」と比較して、その変化を理解しながら暮らしているとは思えない。

(だから癌なんだけれど)

ひとり一人として歩み始める人の「自分をアジャストする」「自分の暮らしぶりをアジャストする」という小さな「灯り」が「敗戦直後」を乗り越え、空間を超えて各地から集まって、その灯りが「戦後」を照らす。

そういう感じしかないかな。
でもね。敗戦直後の「闇市」が産み出した「文化」って、そんなことだったんだろうと思う。

この国が「癌」っていうのは、主にいって、この国の「社会システム」と「組織ワーク」が病巣なんだろう。経済的には、いまだに、従来の「土建」と「ものづくり」に頼りきっているところだ。だから、現状の組織を諦めて、社会システムをデザインしなおして、知価生産へ舵を切ることができれば、まだまだ可能性はあると思っている。

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