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フツウ帝国/ペジテや風の谷

一億総中流だった「労働者階級」の話し。

(資産10兆円以上の資産家たちはこれに含まれない。でも、この国にの静岡市一つ分くらいは、そういう資産家たちはいる)

で、労働者たちの話し。

まず2つに分かれる。8:2ほどの割合。

80%はフツウ帝国に連なる人々。仕事は「憶えて慣れる」、賃金を取得するのが主目的。全体を俯瞰しながらの業務より、できるだけ狭い範囲に閉じた「分担」で済ませられることを好む。身体一つで「自らが労働する」ことで収入を得る。就業にしろ、買い物にしろ、与えられた選択肢からライフデザインをしていく。個性を追って没個性になる。「みんな」と居る実感が得られれば、それが安心感となる。「みんな」が宇宙でもある。

80%もいるんだから多数決による民主主義は彼らのものだ。行政も「無関心」「丸投げ」も含めて、彼らで動く(あるいは動かない)。

あとの20%は「ペジテ」であり「風の谷」だ。少数がまたいくつもの集団に分かれている。みな「カオナシ」を嫌うからだ。だからといって、みながいがみ合っているわけではない。多様性を、我がこととして重んじるからだ。

それでも概ねいって「知価生産者」と「エッセンシャル・ワーカー」に分かれる。でもね。「就業意欲が高い」っていう共通点はあって、正反対のようにみえて、案外、馬が合う。

(そして、SNSがある時代、彼らが80%に完全に消し込まれてしまうことはない。だから「岩波書店の『世界』」のようなことを、たった20%が起こす、ウネる。フツウ帝国では評価されないかもしれないけれど、実際に社会を変えていく)

フツウ帝国の国民は「前にならえ」が信条だ。「みんなについていく」でもある。だから、何もないところから、何かを創造するのとは苦手だ。そのつもりになっても「既成」の順列組合せに終わる。だから、知価生産者なしにはフツウ帝国を成り立たせることはできない。国民はまだしも、帝国の政府関係者や大きな企業は知価生産者を頼りにする。

一方、フツウ帝国の国民は誰かのために命をかけるようなリスクをとるのも苦手だ。火事場に飛び込んでいって子どもを救い出すようなこと。感染症病棟で働く、医師・看護師、コ・メディカルな技師さんたち。炎天下を走り回って荷物を届けるセールス・ドライバー、鳶職、漁師、長期間の修行が要求される技能職…だから、フツウ帝国の人々の生活を支えるにはエッセンシャル・ワーカーの存在も不可欠になる。

(だからエッセンシャル・ワーカーなんだろうけれど)

フツウ帝国では、やがてベーシックインカムが当たり前になって、働いているのはAIとロボットということになるのだろう。それで賄えないことは知価生産者とエッセンシャル・ワーカーに発注を出すようになる。

集団生産に時代も終わっているので、多数決の多数に力はなくなっている。知価生産者とエッセンシャル・ワーカーが20%のまま、イニシアチブを取るようになる。たぶん、稼ぎの80%も全体の20%のまま、知価生産者とエッセンシャル・ワーカーが握るようになるのだろう。

急に就業意欲を高くできるわけではない。寝食忘れて取り組める「好きなこと」が見つかるわけでもない。なんでも「これから間に合う」「まだ間に合う」ということはない。ありえない。そういう現実は、もう夏休みの宿題や試験で経験済みだ。

本来、フツウ帝国に安寧をもたらすはずの政府がああなんだから
たぶん現実のものになる。「いつ?」「いつまでに?」については神のみぞ知るだけれど。

自力がある人がセルフサービスで生き残る感じ。
「前にならえ」は、大変化には命取りだ。