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超芸術/路上観察学との出会い

土岐哀果による「生活と芸術叢書 発刊の辞」が、僕のアートやデザインとの関わり方、その方向性を定めてくれたものなら、今に至る「街への眼差し」を定めてくれたのが、赤瀬川原平さんたちの「超芸術」という提案であり「路上観察学」という考え方だ。
1972年、赤瀬川原平さんや南伸坊さんたちが四谷(新宿区本塩町)の街角で「階段を登っていくと、その先には、ただ降りるしかない階段がついている」だけの階段を発見する。彼らはこれを「純粋階段」と命名。素敵なネーミングだ。

その後も同様の発見が続き、こうしたものを「つくった本人は芸術作品だとは思っていない。しかも、実社会にまるで役に立たないのに、あたかも芸術作品のように、美しく展示されているかのようなたたずまいを持っているもの」として、赤瀬川さんたちは、これらを「超芸術」と呼んだ。

超芸術トマソン 赤瀬川原平 著/筑摩書房 刊 (ちくま文庫)

(書名にある「トマソン」は、1981年当時、読売巨人軍に在籍していた外人選手の名前だ。元メジャーなのにさっぱり打てず、でも4番に据え続けられたことから「無用の長物」を「トマソン」に準える風潮があった。「超芸術」を象徴するものとして、それを本歌取りした言葉)

路上観察学とは、路上に隠れる建物(もしくはその一部)・看板・張り紙など、通常は景観とは見做されないものを観察・鑑賞することで「超芸術」の発展型というか、もっと文化的に、普段着の「街という空間」を楽しもうよという呼びかけ。

つくった本人は、芸術作品をつくったという自覚がない。…この軽やかさ。
その視点から「街」という物語を楽しむ「路上観察学」。

(ブラタモリ」も、この系譜にあるのかも)

僕は「超芸術」や「路上観察学」という考え方に出会ったあの日の衝撃と、わくわく感を、今も忘れていない。たぶん、この考え方を知らなければ、脳出血後のリハビリ散歩も、もっと辛いものになっていたかも。それに「街」や「まちづくり」についての考え方も、もっと机上のものになっていただろうと思っている。

街が都市に呑まれそうになっている今こそ、再び超芸術を、路上観察学を。