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ロウカルチャー

ハイカルチャーなアートは、まずお作法。95%は、その「お作法に乗っ取って」で、残り5%の中で自分を表現する…というか、5%の中で、自分のアートをハイカルチャーな世間に問うていく。

だからクラシックの音楽はあんな感じ。日展に参加している美術家たちのアートもそうかな。良いとか悪いとかじゃなくて、それがハイカルチャーなアートの特性。この「あり方」を問うてもしかたがないというわけだ。

葉加瀬太郎さんは東京芸大を出ていても「残り5%の中で自分を表現する」っていう感じじゃないから(クラシック音楽のジャンルに列せられる作曲家の作品を演奏されていても)ハイカルチャー志向じゃないんだろう。僕は、そもそもクライズラー&カンパニー(葉加瀬さんが学生時代に結成したバンド。2枚目のシングルがCMに起用されて注目を集める)のあり方からして、そうだったんじゃないかなと思っている。

ハイカルチャーは、ブランド志向みたいにステイタスの上昇を願う人の文化。つまり「ハイカルチャー」とはいうものの、もともとの特権階級の人々の生活文化そのものを言い表している言葉ではない。上流を目指す者のステイタス・シンボル。

つまり、ハイカルチャーは、這い上がっていこうとする者たちの文化。だから見た感じの上流に規範を求め、お作法化する。
モーツアルトのお父さん=レオポルトの父方は代々は石工、母方は織師の家系。お父さんは名門貴族の楽士に抱えられて、その世界に認められる音楽家としての道を拓いていく…彼がハイカルチャー志向だったからモーツアルトが誕生したんだろう。そして、ロウカルチャーは石工、織師としての生活文化を磨いていこうとする人たちの文化。

で、葉加瀬太郎さんのコンサート・パフォーマンスにはバイオリンが主役でも、ライティングな演出はあるし「振り」がついていたりする。ハイカルチャーな音楽教育を受けてきても、彼はロウカルチャーに居心地を見出したんだと思う。

19世紀末から20世紀。工業生産や商業が富をもたらすようになって都市にはたくさんの労働者が集められるようになる。そして、彼らが担い手のロウ・カルチャーも元気になった。「ロウ」なのに上流階級の文化にも影響を与えるようになったし、街場から「ハイ」を目指した人が「ロウ」に戻ってくることもある。

日本では早くも江戸時代(17〜18世紀)には、そういうことが起こって「ロウ」であるはずの陶磁器や漆器などが欧州の貴族の間でさえプレミアものになり、北斎の「神奈川沖浪裏」は「The Great Wave」と通称される。

井原西鶴や近松門左衛門。歌麿や写楽、広重だって街場から羽ばたいていった。かつて、オランダ商船が積んだ日本からの輸出品、その緩衝材に丸められた浮世絵が入っていて、現地の人は、日本ってどんなに豊かな国なんだろうとびっくりしたという話が伝わっている。

(でもね。当時、貿易品の荷ほどきをする欧州の労働者の生活には「絵」はまだ未体験。関心したのは貿易をハンドリングして商人だったりするんだろうな。つまりハイカルチャーの担い手。彼らの目をして浮世絵は「ハイ」に見えた。それなりの出来栄えだったんだろうな)

日本のロウカルチャー、200年ほどは欧州よりキャリアが長い。

これが「JAPAN COOL」や「KAWAII」に繋がっているんだと思うな。