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本屋さん

ある大型書店で会員になって、今月1万円以上の買い物をすると来月は「ゴールド会員」。でも、今月の買い物増額が9999円なら翌月も「一般会員」。

この「1円」の差って何なんだろう。

常連になることが不可能な「組織」の店舗。今、レジを打ってるスタッフさんも「本」が好きな人なのか。それとも、ひたすら「賃金」が目的で、そこにいるのか、わからない。もちろん軽口を叩くこともできない。

店員さんにとっての僕は、レジに表示される「ゴールド会員」か「一般会員」かの種別だけ。それ以上でもそれ以下でもない。僕は指示されたとおりにお金を払い、品物とおつりを受け取って店を後にする。

店舗に出向いているのにwebサイトでの買い物と何も変わらない品物の取引。ホントに何も変わらない。

独立系の本屋さんやブックcafeみたいなものが隆盛になったのは、大型書店が「書店のメインストリーム」みたいになったからだろうな。神奈川県でもいっとき、有隣堂さんだけで県内全体の売り上げの半分を占めていたんだという。

利便性を追求するあまりシステムは等身大をはるかに超えて、巨大で広大無辺のものになってしまった…

本屋さんだけではないけれど。

早川さんが言ってた

実際、欲しい本がなくたって、お客さんはまた来てくれるけど、応対の感じが悪ければ、二度と来てくれなくなることもある。結局、人は、物を欲しいのではなく、あったかさとか、やさしさとか、安らぎとか、そういった充実さや満足さを求めているのである。

は遠くになりにけり。

そして、お客さんのあたたかさを求めるニーズが取り残されて、独立系の本屋さんやブックcafeみたいなものに繋がった。

これから、大型書店と本屋さんとブックcafeみたいな二極化は進むんだろう。で。後者は「情報(もの)としての本」を商うのではなく「本」と「店主」さんと、彼の個性がかたちづくった「空間」が奏でる「時間」を商うお店になっていく。

(大型で「量」と「種類」の本屋さんは、印刷会社がオーナーになったりしながら)

同じ「本」でもその存在感は多義的で多様。どちらか一方ではなく、お互いを補完しあうようなかたちで両者が並立するようになる。ただし、大型書店は、マスな消費者の「消費力」と一蓮托生だ。

大型書店のミニチュア版みたいな個性のない本屋さんは淘汰されてしまうかもしれないけれど、零細ながら個人経営の時間を売ってる独立系の本屋さんは生き残る…

難しいのは「いい時間」をつくりだすためのコストをどう回収するかということなんだとは思う。入場料をいただく方向。Cafeっていうのも、その方向を向いてのひとつの回答なんだと思う。

(それはそれで批判的な意見もあるようだけど)

さぁ、どうなるのかな。
でも、そんなに時間が経ずして「次なる時代の本屋さん」の像は明確になっていくのだろうと思う。
もう「これまで」の終わりははじまっていて、つまり「これから」もはじまっているんだ。