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【論考紹介】 “なぜ中立政策は21世紀において時代遅れになっているのか” (Why Neutrality Is Obsolete in the 21st Century, by Franz-Stefan Gady, FP, 04.04.2023)

著者のフランツ=ステファン・ガディ氏が、ツイッター上にご自身で内容要約を投稿しています。以下文章はそのツイッター投稿の日本語訳になります。

フォーリン・ポリシーに寄稿した最新の分析において、私は次のことを論じている。外交と軍事の両側面からみて、オーストリア・アイルランド・マルタの各政府が中立政策を維持している状況はその意味を失っており、今後の国家安全保障を危険にさらすことにもなり得る。

中立の維持は二つの主たる理由によって、以前よりも困難になっていく。第一に、欧州の中立国家の存在は、冷戦期においては東側と西側双方の目的に適っていたが、その当時と比べて現在、非中立国にとってかなり無用なものになっている。

今後、大国が中立を尊重しなくなりがちになるだけでなく、欧州連合(EU)が共通の安全保障・防衛政策を発展させていこうとするなか、EUもまた中立政策をもつ加盟国をある種の障害物として、ますますみなすようになる。

二つ目は軍事面でのことになるが、21世紀の戦闘行為は、全ドメインにおける高度に統合された複雑な相互運用性をよりいっそう要求することになる。一方で小さな中立諸国が自身でそのような能力をもつ余裕はない。

中立国は紛争当事者間の仲介者・調停者としてうまく機能するという考えは、歴史的にみて、一般的な裏付けがあるものではない。中立は、戦後の合意を促進する前提条件ではない。

欧州史上、和平仲介において最も成功をおさめた事例はウィーン会議で、その主催国であったオーストリア帝国は、明らかにナポレオン戦争でフランスを破った側にいた。

同様に、バルカン半島での戦争に米国とフランスは介入したが、その介入が両国による1955年のデイトン合意と1999年のランブイエ合意における紛争終結交渉の仲介の障害にはならなかった。

中立国家が必ずしも多国間外交にとってよりよい地位を占めるわけではない。ニュー・ヨークの国連本部は外交上の中心地として、ウィーンとジュネーブにある各機関の事務局と、少なくとも同じ程度の重要性をもつ。

ウィーンとジュネーブは外交上の中心地として相応しいところだが、それは中立という地位に起因するのではない。そうではなく、両都市ともに交通アクセスが容易な空港をもち、五つ星ホテルと素晴らしい会議施設を多くもっていることが、その理由だ。

今日、オーストリア・アイルランド・マルタの中立政策は、EUが安全保障と防衛の分野で依然として弱々しいプレーヤーであることの一因にもなっている。将来の戦闘遂行の実態を考える際、軍事的中立性は、ますます実際的な意味をもたないものになっている。

西側諸国の軍隊は、マルチ・ドメイン作戦ドクトリンの採用を進めている。このような高度に複雑な軍事作戦任務に必要不可欠なものは、情報・監視・偵察であり、その他のさまざまなデータである。

欧州諸国それぞれの軍事力が相対的に限られた能力しかないことを考えると、同盟軍全体でのデータとテクノロジーの共有は、将来の軍事的有効性にとっての鍵となる。中立諸国の軍隊はほとんどの場合、この件に関する合意の蚊帳の外に置かれることになるだろう。

オーストリアとアイルランドが事実上のNATO軍であるのは、公然の秘密だ。つまり、両国は作戦コンセプト・ドクトリン・諸手順・弾薬の面でNATO標準を取り入れている。

しかし、NATOに加盟している友好国との相互運用性を維持することは、これからますます大きな課題になっていくだろう。なぜなら、機微データは非加盟国と共有されなくなるからだ。

このような位置付けはまた、欧州の中立国が作戦レベルにおける軍事的能力を保持し、共有することを不可能にしていく。そして、軍事的危機において、最も重要になるのは作戦レベルという場なのだ。

機密取り扱いの問題と信頼性への全般的な欠如は、軍事的危機の場面における、NATO加盟国とオーストリアもしくはアイルランドとの機密性の高いリアルタイム戦術情報の共有を難しくする。

オーストリア、アイルランドそしてマルタは、他国が戦争時に自分の味方になることを期待する一方、自分たちは隣国に対して同じことをしようとしたがらない。欧州に残る中立国にとって、21世紀における中立の外交的・軍事的有用性について、真摯で開かれた議論をする時期が来たのだ。

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