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透明の流れ星

 自宅近くの小高い山の上にある小さな公園に佇み、夜空を眺める。星がまばらに散らばっている。透き通った冬の匂いがした。
「寒いね」匙子が言った。
「うん。寒い」
 吐き出された息が白かった。
「冬だね」
「冬だね」
「吐く息が白かったら、なんかタバコ吸ってるみたいだね」
「そうでもないだろ」
「そうかな?」
 匙子はタバコを吸うしぐさをしながら、息を吐き出し、
「ほら、なんかそれっぽくない?」
「別に」
「冷たいな」
「冬だからな」
「いつもじゃん」
 匙子が笑った。僕も笑った。沈黙が流れる。冷たい夜風が頬を撫でた。寒さに身を震わせながら、となりの匙子に目をやると、夜空に人差し指を立てて動かしていた。
「何してんだ?」
「星を動かしてる」
「指じゃ無理だろ」
「距離的にも無理だね」
「わかってるなら、やるなよ」
「でも、指で星を動かせたら、流れ星作りたい放題だね」
「確かにな」
「願い事かけたい放題だよ」
 匙子が僕を見つめながら笑った。ほんのりと熱を帯びてきた右頬を軽くこすって、視線を夜空へ移した。
「でも、出来やしないけどな。実際」
「だよね。でも、流れ星って目には見えないけど、本当はもっと流れているはずだよ」
「そうだろうな。小さすぎて見えないだけで、本当はもっと流れているよな」
「そう。だからさ、夜空に願い続けていたら願いが叶うかもよ。見えてない流れ星が流れているかもしれないから」
「かもな。そしたら、もっと早く願いが叶うな」
「うん。だから、またすぐ会えるよ」
 泣き出しそうな声で匙子が言った。僕は声を震わせながら、
「そうだよな」
「ありがとね」
「いや、こちらこそ」
「流れ星って本当に願いを叶えてくれるんだね」
「本当だな」
 僕は右手を伸ばし、匙子の手を握ろうとしたが、すりぬけてしまった。
 何度も何度も握ろうとしたが、透明で冷たい感触しかなかった。
「そういうのは出来ないみたいだね」
 泣き出しそうな笑顔で匙子が言った。唇を強くかみしめる。体が震え出す。
 匙子に向き合う。確かに目の前にいる。思わず抱きしめる。
 心臓の鼓動が張り裂けそうなくらい鳴っている。匙子の頬がすぐそばにある。触れ合っているはずなのに、冷たい夜風が全身を吹き付ける。
 匙子が僕の胸に顔をうずめる。悲しいくらい感触がない。
「タバコ、臭くない」匙子が言った。
「そういうのはわかるんだな」
「みたいだね。止めたの?」
「いまのところは」
「前は、一時間吸わないと、イライラしてくるって言ってたじゃん」
「言ってたな」
「がんばってるね。でも、継続できる?」
 僕は人差し指と中指をくっつけて、口元に持っていき、
「冬の間は、これでなんとかするから大丈夫」
 白い息を吐き出した。匙子が笑いながら、
「もうこれからはそれにしなよ。タバコ」
「冬の間はなんとかなりそうだな」
「嫌だよ、もし、春に会えたとしたして、その時、タバコ再開してたら」
 僕は見えないタバコを吸い、息を吐き出した。
「頑張ってみる」
「がんばってよ」
「うん」
「じゃあね。またね。また、流れ星に願ってね」
「夜空を見るたびに願うよ」
「お願いね」
 匙子が微笑んだ。そして消えた。
 僕は夜空を見上げた。見えない流れ星に願いをかけた。頬に一筋、涙が流れた。

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