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PANTAのnote

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2023年4月の記事一覧

頭脳警察黎明期

1968~9年、渋谷駅南、いまは桜丘口地区の再開発に伴い取り壊しされてしまったヤマハ音楽振興会の通称、崖の上のヤマハと呼ばれた渋谷エピキュラス。のちに中島みゆきなどを中心に大量に所属アーティストのレコーディングされたスタジオ&ライブホールがあった。そこでは、リリーの歌手生活何周年かにステージに呼び出され、「わたしは泣いています」をデュエットした思い出もある。 だが今日の話はそのエピキュラスの話ではなく、その崖の下にあった小さな小さな劇場。「ヘアー」から始まる寺山修司と袂を分か

老い

町山智浩くんが以前たまむすびで解説していた「幸福~しあわせ」という映画の話で、幸福とはなんなんだろうという、とてもルノワールやモーツァルトの画面の美しさと背景に不気味に流れていく不穏な空気感。これは最後になって本当に恐ろしく、身も震える落とし穴のなかに永遠にとじこめられたような、誰にでもあるとはいえない、幸せというものがいかに怖いものかということを思い知らされたことがある。 「人は女にうまれるのではない、女になるのだ」で知られるシモーヌ・ド・ボーヴォワールに言わせれば、「恋す

フランス・ギャル『夢見るシャンソン人形~Poupée de cire, poupée de son』

ダニエル・ビダルほか、多くの歌手にカヴァーされているこのフレンチアイドルの定番曲は、1965年、イタリアで開催された第10回ユーロビジョンコンテストで、ルクセンブルク代表で出場したフランス・ギャルがグランプリを獲得した曲である。 自分が15歳のときに出会い、それ以来、熱烈なファンでいるフランス・ギャル。残念ながら、2017年に亡くなってしまったが、自分のアイドルの規範というべきフランス・ギャルはいまだに頭の中に基準として強く存在している。 PANTAはフランスの女の子が好きみ

「天使のらくがき」ダニエル・ビダル

初期頭脳警察のときに楽曲の著作権登録というのをしなかった。 自分の作品で日本音楽著作権協会をもうけさせるのが嫌だったからだ。 しかし現実は違った。 レコードのプレス枚数によりレコード会社からJASRACに徴収だけされていたとわかり、それはいかんなと思っていたところ、初期ZK解散と時期を同じくして、ちょうど仲の良かった青山音楽事務所のI氏が登録作業を一手に引き受けてくれた。 そしてその山積みの実務をこなしてくれたのが、この業界に入ったばかりの新人、のちにARBオフィスの頭となる

「仮面劇のヒーローを告訴せよ」

「仮面劇のヒーローを告訴せよ」 先人たちと同様、自分も絵画から触発されることが多く、ベルギーの画家であるジェームズアンソールの『仮面ワウスの驚き』には虫ピンで心臓を突きまくられるような衝撃を覚えた。 このアルバムのジャケットはただのスナップの撮影だと思っていたらジャケット撮影だったと聞き、だったらあんな普段着で来なかったのにというかなりいい加減な連絡網だった。中野の廃屋のようなところでの撮影だったのだが、長らく自分の自宅だと信じて疑わなかった人も多い。 一曲目の「ウィスキーハ

映画『RUSH/プライドと友情』

2月1日に緊急入院して以来、ほぼ2ヶ月半を経て4月14日に退院。 体力もメンタルもやられてしまった絶対安静状態から自宅でのリハビリをしながらの療養となり、いろいろと録画しておいた映画などを観ながら、スタッフとのライブへの復帰準備を進めているさなか、久しぶりに映画「RUSH」を観る。 1976年8月、F-1シリーズトップを走るフェラーリのニキ・ラウダと、追うマクラーレンのジェームス・ハントの熾烈なトップ争いのドイツ・ニュルブルクリンクサーキット、この雨は危険だと中止を求めるニキ

幻となった「頭脳警察 シーナ&ロケット ジョイントライヴ」を思う

長期入院から退院し、自宅でリハビリをしながら録画しておいた映画など観ながら療養の日々を送っている。日本映画専門チャンネルの鹿児島TV:松元ヒロさんの紀伊国屋ホールでのライブなど久しぶりに笑わせてもらったり、けっこう楽しく過ごさせてもらっている。 そして楽しみにしていたTBSドキュメンタリー「解放区 シーナ&ロケッツ 鮎川誠が家族と見た夢」をやっと観ることが出来た。 本来ならば、2月6日に予定されていた頭脳警察とシーナ&ロケッツとの初のジョイントライヴが、1月29日の鮎川誠の

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(原題:Once Upon a Time in... Hollywood)③

ロイ・ヘッド&トレイツの「I wanna tell you a story」「~さあ、これから物語を聞かせてあげよう、昔々、こんなことがハリウッドでありました」という映画が始まる。 ポランスキーがとなりにシャロン・テートを乗せたMG-TDのハンドルを握り、ふと思い返してみても、いままで出会った女の子の中で、やっぱりキミは最高さとディープパープルのデビュー曲「ハッシュ」がシャロン・テートの横顔を添えて強力なリズムで画面を弾かせる。 ディープパープルの数ある曲のなかでも一番大好き

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(原題:Once Upon a Time in... Hollywood)②

リアルタイムで衝撃的な事件だった。 ちょうどローズマリーの赤ちゃんがヒットしていたころで、ポランスキー監督が世に登場し、誰もが注目。アメリカンニューシネマも新しい展開を迎えているところだったので、このマンソンファミリーによる虐殺事件にはとんでもない衝撃を受けたことを覚えている。 そんな事件を知りつつ、この映画を観ているのが、けっこうつらいものがあったのは確かだ。 リック・ダルトンとクリフ・ブースの物語で映画は展開していくが、69年のハリウッドが実に再現されていて、ファッション

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(原題:Once Upon a Time in... Hollywood)①

クエンティン・タランティーノ監督の「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」。 とんでもない映画と出会ってしまった。あまりに凄すぎるし、深すぎるし、自分がつけ入るすきもないくらいに世のうるさがたがもう語りつくしている映画なので、伏線として、アニマルズ「朝日のない街」レイダース「キックス」ディック・ディル&デルトーンズ「ミスター・エリミネーター~ミザルー」を事前に置かせてもらったというわけだ。 自分的には19歳だった1969年というのは大いなる変革の年と信じて疑わなかった

「キックス~Kicks」PAUL REVERE & THE RAIDERS

アニマルズ「朝日のない街」のイントロのベースのフレーズに、カッコいいと叫び声をあげたのは自分だけではなく、世界中のミュージシャンに衝撃を与えた。 ザ・バーズ、ママス&ザ・パパス、そしてレイダースのプロデューサーであるテリー・メルチャーも例外にあらず、「朝日のない街」を書いたバリー・マンとシンシア・ワイルにこんな曲を書いてくれと依頼し、出来たのがこのキックスという1966年に全米4位となった曲だ。イントロのギターのフレーズが、実に「朝日のない街」のベースのイントロをなぞっている

「沈黙」と早撃ち

クリント・イーストウッド監督の俳優、そして監督経験から来る早撃ち、否、早撮りは有名な話だが、とにかくセッティングも早く、ショットも一発か二発で終わるらしいと聞いている。 キング牧師宅を盗聴したりしたFBI長官フーバーを描いた映画「J・エドガー」の主演を演じるディカプリオが、いまのテイクをもう一度やらせてくれと言ったところ、イーストウッド監督に、いやいまのでいいんだと返され、ちょっとした言い合いになったというが、日本でも黒澤明と勝新太郎の袂を分かった事件をつい思い出してしまうよ

「朝日のない街~We Gotta Get Out of This Place」Eric Burdon & The Animals

甘っちょろい男と女のラブラブソングばかりのポップソングの中に、放り込まれた労働者階級からの叫び・・・ 「私のパパはベッドで死んでいる 彼の人生は、、働きづくめで髪は灰色になり、そう仕事の奴隷のような人生だった。 仕事仕事仕事 オレたちはここから出なきゃいけない オレたちはここから出なきゃいけない」 この1965年の全英2位、全米13位のアニマルズの曲が、当時のベトナム戦争の兵士に共感を呼び、映画「ハンバーガーヒル」でも強力に描かれているのが強く印象に残っている。 エリック・

レッツチャット

桑名正博くんが倒れて、入院したまま情報がまったく入らなかったとき、2019年に亡くなってしまった木内みどりさんから呼び出され、自宅へお邪魔することになった。彼女がテレビドラマに出た時に、まばたきだけで会話できるレッツチャットというのがあり、「意識はなくとも、万が一ということもあるでしょ、パナソニックの人に話を通すから、ぜひ彼のところに届けてほしいの」と熱く懇願され、まずは息子の美勇士と話してみると、すでに桑名くんは医師から脳死を告げられており、腕が動いたとか、世間では流言だけ