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「朝日のない街~We Gotta Get Out of This Place」Eric Burdon & The Animals


甘っちょろい男と女のラブラブソングばかりのポップソングの中に、放り込まれた労働者階級からの叫び・・・
「私のパパはベッドで死んでいる
彼の人生は、、働きづくめで髪は灰色になり、そう仕事の奴隷のような人生だった。
仕事仕事仕事
オレたちはここから出なきゃいけない
オレたちはここから出なきゃいけない」

この1965年の全英2位、全米13位のアニマルズの曲が、当時のベトナム戦争の兵士に共感を呼び、映画「ハンバーガーヒル」でも強力に描かれているのが強く印象に残っている。
エリック・バードンとの思い出もいろいろあって、いわゆる日本のその手の興行主とのトラブルに巻き込まれ、彼らが座敷で演奏させられたり散々な目にあっているさなか、さる新宿のディスコの楽屋で、しばし彼と話し込んでいた。
彼らがそんな目に合っているとは露知らず、マリファナの功罪とか、なんのことない話に終始したのだが、そこへギターのアンディー・サマーズが入ってきたので、やあ、と声をかけると、表情を微妙だに変えずすっと顔を背けられてしまった。なんだこいつ、失礼な奴だなと思ったのだが、あとでそのトラブルの話を聞けば彼に同情してしまうばかりだ。
その十数年後、今度はポリスのギタリストとして再来日することになるのだが、自分も対談を組まれ、スティングと頭脳警察とフランク・ザッパのこととかを話し込み、アンディーとの話をふると、
「実は飛行機のなかでも彼はものすごくナーバスになっていたんだ、今度は大丈夫だろうな」
って。
そんな話をスティングから聞くとなおさらアンディーが不憫でならなかった。
そのトラブルに巻き込まれたアニマルズは楽器など日本に残したままほうほうの体でイギリスへ逃げ帰った。残された楽器のひとつ、フェンダーのローズというエレクトリックピアノがミッキー吉野の手に渡り、彼が使っていたというから、冗談みたいな話はいつも世に転がっているものだと、つい「コミック雑誌なんかいらない」を口ずさみたくもなってしまう。
そののち、今度は九段会館の公演でひさしぶりにエリックと会うことになり、世界一のカウベル使いと楽屋でしばし話し込んだ。エリック・バードン&ザ・ウォーを脱退したわけとか、限られた時間の中で昨今の音楽政治社会状況など多岐にわたって話し込めたのは幸いだった。
最後に別れ際に、「していまはどんな暮らし?」と話をふると、「いまインディアン居留地に住んでいる」という返事が返り、「居留地は核実験場のそばに割り当てられたり、いろいろあるのだが」とちょっと目を細めたしかめ面で小さく手を振ってくれた。
そうか、この人はいまになっても被抑圧者側に立ち続ける人なんだなと、信じた自分が嬉しくなるような別れを惜しんで九段会館を後にしたのであった。


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