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「悟った」つもり

真似は真似であって、そのものでは無いのです。そのものとは「悟り」です。
悟ったつもりになるのは「悟った」よりもたちが悪いのです。
「悟り」が最終ゴールだと勘違いしているからです。「悟った」人は何も言いません。「悟ったひと」は無数にいるのです。そして「悟り」を求めません。そんな暇があったら自分がしなければならない事を一生懸命するのです。

前に記事を書いた時より少し前に進む事ができました。
自分を求めてくれる人との出会いがあったのです。自分が求めていた仕事にも出会えました。自分が望んだ時間の使い方ができるようになりました。

今を次の今に躊躇することなくつなげる。
悩むことのないように少し先の今を見るようにする。
答えのない問いには答えない。答えると嘘になるからです。

「悟り」とは答えの無い問いに答えないことです。
答えのある問いに躊躇なく答えられるようになることです。

答えのある問いに躊躇なく答えるようになるのが修行です。

私の修行はこれからです。


経済的に幸せにはできないかも知れませんが精神的に幸せにする自信があります。と言いましたがついてきてくれました。今は、精神的に幸せだから次は経済的に幸せにしてと言われています。