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誰も助けてはいけません。

今日の写真は、熊野古道中辺路滝尻王子です。誰も助けたくて助けているのではありません。生きていく為にしていることで、助けてもらっているのではなく、助かっているのです。それを勘違いして自分の都合で助けてくださいと言っても助けてもらう事はできないのです。

助かっていることに感謝しても、助けてもらう事を望んではいけません。結果として助かったことに感謝しましょう。

あなたは誰かを助ける事ができますか?

たとえ衣食住を提供してお小遣いを与えて、助けて欲しいと言われた事を全て叶えたとしても助けて欲しいと次から次へと要求が出てくるでしょう。

一つでも願望が叶うと次の願望を叶えて欲しいと要求してくるのです。
ですから助けてはいけないのです。助けるのではなく共に生きる為の活動として行うのです。自分が大きな負担になる事はしてはいけません。

自分の事として生きる為の活動をするのです。仕事ができなくなった時に、仕事のありがたみがわかります。生きていく為の活動の一つが収入を得る事です。与えられた仕事は、与えられなくなったら止まります。自発的に行なっている仕事は、できたことに感謝する事ができます。感謝される事を期待したり出世や名誉など余計な欲望を満たそうとすると、後で悔やむことになるでしょう。

助けて欲しいと思うのは欲望です。欲は満たされる事がありません。次から次へと浮かんでくるのが欲望です。お腹が空いたら食べたくなって、食べれたら、おいしい物が食べたくなり、遊びたいとか休みたいとか眠りたいモテたい知りたい。

欲望があるから生きているのか生きているから欲望が出てくるのかわかりませんが、欲望に支配されて生きるのと最低限の欲望を叶えて生きるのではどちらの方が楽しいでしょうか?

課題を自分に課して解く。

人生はそれの繰り返しです。どのような課題を自分に課すのかは、その人の生きざまとなるのです。一番大きな課題となるのが仕事でしょう。年金生活者になっても、仕事はしなければなりません。

私の仕事は生きていく為の道標を残す事です。誰かが理不尽な目にあった時にその理不尽を理不尽でなくなるような道を示す事です。人によって環境が違いますから同じ理不尽はありません。

理不尽とは、理屈に合わない仕打ちに合う事です。理屈は人が思う事で他人と自分では違っているのです。同じ思いの人、共感を得る事ができる人と行動を共にしていれば理不尽な目にあう事は無いのですが、人との出会いは縁のなせる技。一緒に行動する事で同じ思いになれれば良いのですが、対話がなければそれも難しいでしょう。

理不尽な目に遭わないように日頃から関心を持って行動し、人として最低限の生きる活動に徹してみましょう。